十秒

高齢の身にあって欠かせぬは昼寝。指定席は外から見える玄関の隣部屋。南に面した窓側に専用のベッドが置かれ。横たわる本人の血色や悪からず、生存だけ確認できればそのほうがかえって。そっと名刺を残して退散せんと背を向けるに背後からドンドンドン。来るのを待っていたんだ、と本人。

いや、今、寝ていたでしょうに。寝起きと思えぬ饒舌ぶり。目線合わせるべく中腰となるに奥から飛び出した愛犬に顔中を嘗め回されて。じっと聞き役に徹すること三十分。そう、彼らとてそんな心境のはず。

市長、議長以下、ズラリと並ぶ市議、その数三十名は紹介だけでも。コロナ以降、来賓は議長のみ、とされるに。我を誰と心得る、多忙の中を祝福に赴くというに拒むとは言語道断、来賓としての出席を認めよ、なんてセンセイがいるとかいないとか。

んな不満を酌んでか、事前に議長以外の「全」市議の祝福メッセージを収録し、当日に会場で流すというのだけれども与えられし時間や十秒。たった十秒では文言も限られ、手間や億劫と去年のものをそのまま、なんて市議も。議会フロアに飾られたどこぞの議長の写真じゃあるまいに、過去の使い回しなんぞ失礼にあるまいか。

昨今は祝日といえども大学の授業が行われるとか。そう、曜日に応じて編成されるカリキュラム、月曜だけ突出して時間数が少なくなることがその理由とか。が、その日だけは特別。迫る成人式。成人の日を祝う集い、というのが本市における正式名称。

いつぞやの法改正に問われし成人の年齢。そこをズラすに混乱が生じかねず。高三の一月とあらば昨日と何ら、何よりも受験を控え。別れて歩む二年間。やはり卒後二年の再会というのがちょうど。

生涯に一度の晴れ舞台、彼ら、いや、彼女らこそが一日の主役。そこに異論は挟まぬ、「されど」というのが。会場は市内に一つのみ。同年齢の一万人がその日その時間に一斉に大移動をすれば。何せ衣装が衣装であるし、それでいて駅遠とあれば徒歩はしんどく。ならば会場を複数にせんとするにそれはそれで。

かたや、衣装とてたった一日、貸着で十分といえども誰しもがその一日となるに。その為に用意されし数にその後の需要がどれほど。何とか確保したにせよ着付けにヘアメイク云々と、美容師の数とて。それはさすがに前日とはいかず、当日とて間に合わねば無意味。それでいて、それこそが忘れ得ぬ記憶になるか、と言われれば。退屈な式典よりも脱ぎ捨てて駆けつけるその後の同窓会のほうが。

折角の商売に水をさすな、との批判寄せられそうなものなれど、不要などと申すつもりもないし、着飾るは大いに結構。が、一日ズラさば生じる余裕。選べるは衣装のみならず天気とて。神社に参拝して穏やかな顔での写真撮影、夕食とて優雅に。

そう、あれからはや五年。コロナ禍にあって議長と新成人に語りしは「矛盾」。外出自粛ムードの蔓延に店が閉店に追い込まれる状況を諸君は見捨てておけるのか、と。覚えていないよな、そんなつまらん話。祝成人。

(令和8年1月10日/2971回)