自主

神社参道、あれだけの列にあって個々が願かけるに。社殿前の大鈴とて鳴らすに相手を督促しとるようで。ならば日頃から。

道すがら地蔵あれば手を合わせ、そこに箱あらば賽銭は欠かさず。サントリー創業者を描いた小説「琥珀の夢」(伊集院静著)にも確かそんな描写が。私も彼のような大物に、いやいや、見かけるに無視するは、とラン後の小銭入れはいつも空であり。

さて、本題。パブコメとはパブリックコメントの略、広く市民の皆様に御意見を募らんとする制度の名称。その投書によれば、災害時の要援護者に対する個別避難計画が全く進んでいない、と。進んどるか否かは個の主観に依るものなれど、投書の主や地元の町会長であり、「全く」との修辞も付かば「何かしらある」と見るのが。

公の制度にて主に返答いくはずも役所の回答文など所詮。たとえ電話一本、メール一通、相手に寄り添わんとする姿勢こそが信頼に。そのひと手間を惜しんではならぬ、と担当に告げて退庁するに連絡あり。例の件、区役所にて相手との面談の日時が決まった、と。

災害時における弱者救済は欠かせぬ視点も、そこに立ちはだかりし数々の壁。そもそもに要援護者などと申しても漠然として。定義なくして補足は出来ぬ。要介護5と申しても既に大半が耐震性に優れた施設への入居。とすると「3」あたり。

いや、むしろ介護度以上に独居の高齢者であったり、レッドゾーンなる地区に居住の方こそ。それとて、他人様の手など借りぬ、なんて偏屈者もいないとも限らず、何よりも当事者にその意識なくば。ということで手上げによる個別支援を本市独自に進める中に国から示されるは個別避難計画の策定、それも三月までに、と。

そこに記されるは要援護者ならぬ避難行動要支援者、ってことはまたその定義も。読んで字の如く計画を作らんとするに膨大な作業量が想定され、欠かせぬは町内会の支援なれど、そこに差異、というか大差あり。協力を要請されども手が回らぬとの町内会もあれば、何故に他の町内会は協力をせぬのか、なんて。余力あるがゆえの葛藤と余力なきがゆえの苦悩。

全ての弱者を網羅し、詳細な計画を立案すれどもいざ災害にあって完璧に機能するとは限らず。来るか来ぬかもわからぬ災害にそこまで、それは実際に起きてみねば分からぬこと、なんて冷めた見方とて。んな話はそこのみにあらず。

通称、自主防こと自主防災組織の合同会議にて力説すれども声が届かぬばかりか出席者の一部から悪態が聞こえたとか。そこに役所の擁護なく浮いてしまった感に落胆のYさん。「自主」の名こそ付けど設立の過程や大きく二つ。まさにその名の通り、勝手連的に組織されたもの、もう一つは町内会からの派生。そう、何とか形だけでも、って。

とするにそこに温度差が生じることは薄々。時に純粋な正義感が裏目に、いや、それが純粋とも限らなかったりもして。んな不和生じるに共助などと。前のめり、などと揶揄することなかれ、と質問をぶつけるに、自主防の方々の御意見を丁寧に、との答弁示され。

そう、今年もあの日が迫る。

(令和8年1月15日/2972回)