欠伸
家族葬なれどぜひ、と御遺族より。いや、請われずと。通夜に居合わせしKさんや某市にて市議十期の大物。故人の親族、従弟とは昔から知るところ。市役所を訪ねるに職員と談笑をしている姿しか、とは故人がよく。
市長は言わずもがな、職員からも慕われる存在であり。市内八箇所の居酒屋に置かれた当人のボトルは職員が勝手に。つまりはメシ代のみ彼らの負担となり。買収などとは嫉妬心。それだけでは掴めぬ人心。当人の人柄に負うところ大。ほんと気さくな御仁であり。今は御子息に道を譲り隠居の身なれど老いて益々盛ん。未だ現職以上に古巣に心配を寄せ。
「今どきの事情は知らぬが」と前置きをした上で、「こと最近は職員が現場に姿を見せなくなった。そう思わぬか」と求められる感想。本市とて同じ、市の違いというよりも時代。私とてそれが「正しい」とされた時代を経験してきただけに言わんとすることは十分に。
集団よりも個が優先される時代にあって先生が如き御仁は稀有、というかもはや天然記念物、と評するに満足げな様子。読経前の時間。んな話題に興じることが出来るのは当人ならでは。御遺族とて知る所であり、故人もきっとあの世で。合掌。
「年度内」が焦点と騒ぎ立てるも成立すればしたで「拙速」、ならねばならぬで「違約」と。いづれにせよ批判の材料でしかなく。間に合わぬに影響はないか、と言われれば皆無とは言えぬ、が。それこそが国民の声とばかりに数頼みに押しに押す方も押す方なれど、野党とて惨敗後に目指すべきはそちらだったはず。予算とは全く無縁の話題に終始するは時間の浪費と言われても。
発言なきは不勉強の証、というか。何も私だけが委員にあらず、肝心なことはちゃんと他が。そこにキチンと答弁が返されれば余計な口は挟まぬ。「異議あり」などとエラそうなタイトルなれど、現実は「寝ていても耳は」が正しく。耳立つも時折。古来、遊軍なるものはその為に存在すると申しても。
そう、ついこないだも常任委員会にてそんな一幕あり。質問の主や厳しい追及で有名なIセンセイ。質問に対して「手元に資料がないゆえ後ほど」と役人側。
「その程度のことすら答えられぬとは軽視としか。ましてや報告ならぬ可否を求める議案の審査に後ほどなんぞありえるか。昔であればそこで委員会が中断、採決は見送られたもの。ゆえに事前の準備は怠りなく入念にされていたはず。議案は必ず可決されるもの、との認識や厳に戒められるべき。緊張感が足りぬ」と一喝。「今回はそこまでせぬが、以後は」と譲歩見せるは善人の証。
が、悲しいかな緊張感の欠如は何も役所側に限った話にあらず。市議側とて人目憚らぬ欠伸など最たるもので、品位を欠く、礼儀知らずというか出自が知れるというもので。委員長が発言を促すにも「とりあえず」なんてのは、所詮、その程度としか。
「ゆるみ」は開脚のみで。
(令和8年3月25日/2985回)
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