産土
兼題は「蝶」と「しやぼん玉」。俳句は旧仮名にて「や」は大文字となり。詠みやすきは前者。蝶一羽ナイスショットを祝ひけり、とはいかぬまでも、立ち寄りし神社にて一句、初宮の稚児を迎へて紋白蝶、と詠むに、晴れた日の産土参り紋白蝶、と手直しをいただいて。
ならば、しやぼん玉はどうか。閑静な住宅地の公園に声聞くは親子のみならず、その親、つまりは祖母まで。三世代そろふ公園しやぼん玉、を推敲して、三世代のそろふ砂場やしやぼん玉。三世代を「みせだい」と読まば「の」が入り。
そこに実際はしゃぼん玉などないけれども連想させるは郷愁、昔懐かしき情景であり、子や孫の遊ぶ姿をほのぼのと見守る、そんな様子が今も、しかも近所で。いい地域だナ。そう、せわしなき中にも句を詠む心の余裕を。
そもそもにゴルフは内緒で行くもの、言わぬもの。自ら公言するは愚者と知るも、それ以上に多忙を演出せんとする欺瞞こそが大罪であり偽善者の証。いや、多忙とて構わぬ、が、無理をして作った仕事など逆に。ならばゴルフの何が悪い、と開き直ったほうがむしろ。な訳ないナ。
予定に追われし一日を終えて、さて、明日は、と手帳を見るに。ゴルフ、とだけ。6時前に迎えに行く、と有権者K氏のメールあれども、「前」が意味するは5分か30分か。早朝5時に家出るに空明るく。5時半には車中にて会話に花を咲かせるに着信あり。
こんな朝早くに、何か急用でも。そう、来月のグランドゴルフ大会の開会式にはぜひ参加願いたい、と会長から。日々寝坊なしといえどもさすがに。その日になくば留守電となるだけに何ともタイミングよく、今日こそは好スコアが。んな甘からず、終わってみれば。あーあ、今日もまた。
そう、月イチ活動の障害者スポーツ団体にて名ばかりの会長職を。学校の施設を借用するに利用者調整会議なるものあり。各団体から最低一名の出席が必須とされ。ある日の会議にて出席者の一人から問いかけあり。集う意味ありますか、と。発言後にしばしの沈黙。予約は既にネット経由であるし、学校側からの伝達事項とてメールがあれば。
確かにそれこそが合理的やもしれぬ。が、せめて年に一回位は互いに顔を、というのが大方の内心であって、出席の為に会社を早退せねばならぬとの当人の事情は察するも、それは自らの欠席を認めてもらわばいい話、何も会議そのものの意義まで否定せずとも、とSさんより。声なき多数よりも一人の大声が勝つ時代。
88歳を魅了してやまぬはゴルフなれど、中年を魅了してやまぬはそちら。書店の新刊コーナーに見かけしその一冊を見逃すはずなく。令和の今に通じぬ価値観。通じぬ以上に否定されかねず。発禁扱いになりはせぬか、なんて。あれだけのヒット作が生まれる背景には画のみならず、原作が。
当時のエピソードが綴られており、あの名セリフの生まれた経緯から作者の人生観まで。当人のペンネームの由来が気にならなかったかといえば。目下、支援者のすすめにて東野圭吾作品を読んでいるのだけれどもそちらは後回しにして。武論尊著「悪と嘘を描く」。
(令和8年4月25日/2991回)
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