女難

かつて浦和の淀君と畏怖されし御仁が何故に本市に、との謎はさておき、呼び出し受けることしばしば。淀君ともなれば冒頭からドスが利く訳で。久々に人の顔を見るなり一言、「女難の相が」と。あれから数年。

人を待たせるは性に合わず。胸ポケットに忍ばせし小説を読むに待つを苦にせず。詳細など聞かぬ、ただ、その時間にその場所で、とKさんに言われるがまま。駅改札にて待つに「お待たせ」と声かけられるもKさんになく。帽子にマスク姿の女性。手がかりは目元位なもの、まじまじと凝視するに、「私よ、私」と。

認知に数秒を要するに「遅い」と言いたげな様子。そもそもにそちらとは無縁な私にとっては帽子にマスクにサングラスなど罪人の道具のはずも、「今どき」とあって。そこは譲ったにせよ、「わ・た・し」の語調に年齢を忘れておらぬか。なんて言おうものなら。地元にて男女複数人の呑み会に呼んでいただいたというのが。閑話休題。

当落を左右するは日々の活動。任期六年の参議院、元大臣といえども欠かさぬ駅頭。さすがに毎日とはいかぬまでもその姿勢こそが。選挙区は全県にて主要駅を数えても二十は下らず。順番に回るに年に一、二回程度。せめて、んな時くらいは、と応ずれども、んな時に限って。暴風雨、それも朝の通勤時間帯のみ。

今さら休むとも言えず。傘ささぬ朝の駅頭を終えてそのまま向かうは。敗残兵が如き姿を晒すに同情を寄せて下さるは所長。いえいえ、雨といえども待ってくれぬは現場であり、「彼ら」に比べれば朝の一時間など。そこに「どうぞ」と提供されるはホットコーヒーであり、これが何とも。

そう、区道路公園センターを訪ねるにいつも必ずコーヒーを出して下さる女性の職員がいて。気遣い無用と予め告げれども私の分だけ。「肝心な上司の分は」と促すに「大丈夫です」と毎回。これがもう何年も前からであり、今ではすっかりそれが愉しみで。違うか。

おぼろげな記憶を辿るに。あれはいつぞやの真夏の暑い日。当時の所長が自らのペットボトルを取り出し、手酌にて二人分をグラスに注ぎ。当人の性格を鑑みるによもや直飲みの残りにあるまいか。勿論、笑顔でぐっと飲んだけど。確かそのへんから、の気がしないでもなく。

かくいう私も市役所の控室では職員相手にコーヒーを自ら。こちらも年数は長く。当初はたまたま私が飲みたかっただけの話。私だけでは申し訳ないから「ついで」に。が、いつしか。客人来たらば「粗茶なれど」と茶をふるまうが作法、というか当然のもてなしであり。

職員といえども客人には違いなく。どこぞの市議を待っている、というけれども相手の顔見ればおよそ吉凶の判別位は。んな冴えぬ顔して入口に立たれてはこちとて。来るまで中でコーヒーでもどうか、って。

たかが一杯が両者の垣根を低くし、好循環を生み出してくれるのであれば。職員と向き合うに交渉力を磨くよりも一杯の珈琲のほうがよほど、なんて。

(令和8年4月30日/2992回)