青の洞窟

薬石甲斐なく恩人が天国に逝った。享年77歳。大学時代にふとした縁で知り合った同氏。角刈りにサングラスとガラが悪そうな風貌にダミ声が特徴なんだけど、そんな人物に限って情には厚いもので...。
うちは身内同士で済ませて結婚式はやらなかったんだけど御節介な御仁にて何かしらやらねば気が済まぬとのことらしく。仲人ならぬ「オレが神父で」と当人の発案で友人を招いての小宴は金屏風まで用意されて...。まぁ兎にも角にも面倒見のいい恩人であった。当日の参列が叶わず事前に弔問に訪ねたんだけど、その香典返しが郵送で届いた。「夫と一緒に過ごせて幸せでした、ありがとう・・・」で始まる御礼状には御主人とのこれまでの人生が自然体で綴られていて何とも良かった。
さて、贔屓の焼き鳥屋がミシュランの星を獲得したと聞いた。路地裏の隠れ家的な店だったんだけど味は抜群。地元のH酒店の仕入れか、日本酒の銘柄も中々で十分に資格を有するはずなのだが、愛好者としてはこれでまた予約が取りにくくなると思うと些か複雑。かと思えば、数年前に訪ねた関西の焼鳥屋もミシュランの星付きながら...。グルメ評価は袖の下も横行する世界だけに最後はやはり自分の味覚を信じたいもの。
防災の日を前に訳あって久々に被災地を訪ねることになった。旅は見聞を広める絶好の機会にて、とりわけ、勝手気ままの一人旅ともなれば人生修行に最適。次の十字路を右に行くべきか左に行くべきか。まさに旅は人生に通じる。左手に行財政改革、右手に新総合計画の冊子を手に...。んな訳ないナ。くりこま高原駅にて下車後、レンタカーで南三陸町から海岸線をひたすら北上。大槌町までは経験があるから最終目的地は岩手県宮古市。往復の総延長は3百キロを超える。そこに石碑と青の洞窟があるんだとか。青の洞窟は関係ないナ。
途中には震災直後に訪れた気仙沼市があって、気仙沼といえば...漁港。当時は漁港も含めた町全体が壊滅状態にて横転した車が散乱し、内陸には戦艦大和を連想させる大型漁船が無残な姿を晒し、津波の脅威を見るに十分。高台の小学校では自衛隊が炊き出しをしていて、帰宅困難な避難者の方々が往来するものの、物見遊山では失礼千万。そんな折、近所に藍色ののれんがなびく鮨屋を発見。
これがいかにも地元の鮨屋らしい鮨屋なのだが、客は勿論、私一人のみ。「これを機に店を閉めようと思ったんだが、やっぱり復興を見届けてから...」と語る店主から状況を聞いた。被災者が日銭に事欠く状況で贅沢は慎まねばならぬと知りつつも、あえて特上鮨を注文したほうが店の売り上げに繋がりそうだなどと勝手に悩んでいたのだが、店主が薦めてくれたのが特上にぎり。あれから4年、立派なのれんが入口に掛けられていて、再びのれんをくぐることになった。