五十肩

秋の風物詩、箱根仙石原の芒が見頃を迎えたという...が、花より団子。コース料理の品書きに「焼栗見立て」とあった。焼栗に「見立て」るんだから焼栗「風」の甘味、つまりはさつまいものデザートじゃないかと子供に教えたんだけど、栗(九里)に届かぬ意味で八里半とか、栗(九里)より(四里)旨いにかけて十三里、薩摩藩の家紋から丸十などと称されるさつまいも。日本語って中々奥が深いよナ。
未だ残る違和感に「もしや五十肩では...」とY整骨院を訪ねたんだけど肩は様々な動作を伴うから繊細で回復が遅いのだとか。きっかけは地元神社の例大祭。おらが神社の名物「大太鼓」はこれが冗談抜きでほんとに大きいもんだから叩くバチも重くて大きい。本来は太鼓の誘導班のはずなんだけど調子に乗って叩きすぎた結果...別なバチが当たった(のかも)。太鼓といえば今年の麻生区地域功労賞に岡上太鼓が選ばれた。岡上町会の推薦。盆踊りの際に鳴り響く威勢のいい太鼓。当時、小学生だった叩き手も今では立派な大人に成長して...。
さて、根底には世の嫉妬心を増幅させる陰謀が含まれているような気がしてならないのだが、公開された資産に物好きな方から何で「ゼロ」なんですか?と問い合わせをいただいた。あくまでも自己申告であって虚偽の申告はお詫び訂正位で済みそうなもんだけど、手渡される書類の記入欄には土地家屋に車、船舶、ゴルフ会員権、骨董品等々、それが議員活動と何の因果があるのか不明なんだけど現金は「定期」預金のみ。だから「ゼロ」とて多少の預金残高位は有しているので御心配なく。
そんな巷の御心配が如く「ゼロ」はゼロで何か一文無しみたいで劣等感に苛まれるものの、番付上位は上位で議員特権を利用して私腹を肥やしたように見られがち。「たまたま」親の相続や先祖代々の土地を有していた訳で...些か気の毒な気がしないでもない。無一文の余計な御世話だナ。スケベ根性で他人の資産って気になるもんなんだろうけど、別にそれを眺めても自らの資産が増える訳でもなく。
嫉妬心以上に幸福感に包まれる時間こそ最高の贅沢。そんな機会を提供してくれるクラシックのコンサートに。曲目はロシアの作曲家チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番と交響曲第5番。交響曲第5番といえばベートヴェンが打ち立てた金字塔であって、私がイチオシのブラームスは交響曲第4番までだけに第5番を作曲していたら...などと勝手な妄想が広がるんだけど、チャイコフスキーの交響曲第5番はそんな期待に見事に応えるお薦めの作品。