カミオカンデ

こう見えて理系男子。難解な数式は苦手では無かったんだけれども実験が憂鬱にて紙と鉛筆の事足りる数学を選んだけど物理を専攻していれば...。
そうそう、沖縄行きの飛行機の機内誌である記事に目が向いた。アインシュタインといえば相対性理論。その発見の過程で数学に関しては初歩的な知識で十分と甘く見ていた同氏が稀代の数学者ダフィット・ヒルベルトに追い詰められて、焦った同氏が必要な数学の知識を必死に会得しようとしたエピソードが紹介されていて、そんな二人がほぼ同時に発見したもののヒルベルトがアインシュタインに道を譲った、確かそんな話だったかと。
今年のノーベル賞を授賞された日本人の梶田隆章さんの業績の肝はニュートリノ量子に質量があることを実証したこと。ニュートリノとは何ぞやとかスーパーカミオカンデがどうだとか詳しいことは読んだ知識程度しかないんだけれども同じ0.1でも1.0と1.1の差異よりも0と0.1では意味合いがまるで違う。「ない」とされていたものが「あった」ってんだからスゴい発見。
困難にもめげずに大きな壁を克服しようとする研究への飽くなき執念が道を拓く。ローマ法王庁に反して「それでも地球は回る」と地動説を唱えたガリレオに始まり、-どんな事態に直面しても「それにもかかわらず(Dennoch)」と言い切る自信のある人物だけが政治への「天職」を持つ-とはマックス・ウェーバーの「職業としての政治」の一節。
いかにすれば出来るか、ラグビー元日本代表監督のエディー・ジョーンズ氏も「”Can't do”(・・・できない)のカルチャーを”Can do”(・・・できる)に変えていかなければなりません」と喝破したように出来ない理由を言わせれば名人級の人物が昇進を果たす、そんな御役人相手に今回の代表質問では中学校給食などは会計を別立てにしてはどうかと迫っているんだけど対する答弁は一般会計の項目に中学校事業費として費用が計上されているから云々などとそっけないというか素っ頓狂な内容。
そりゃ私の担当じゃなかったから見て見ぬフリをしていたんだけど「上からの」指示があってその後の常任委員会で挙手をすることになった(いつも消極的だナ)。そもそもの制度的に出来「る」のか出来「ぬ」のか。(制度的に)出来ぬのと出来るも「やらぬ」のでは大違い。ましてや今回多額の事業費を承認すれば向こう十数年間は数十億円が相手側に支払われるものの、その後のチェックは杜撰になりやすい。
指定管理者制度とて概ね5年を目途に外部有識者を交えた中で検証されて事業の継続判断と新たな事業者に参入の機会が与えられる。施設の維持管理と違って中学校給食ともなればその独自性から参入障壁は高く、相手は限定されるだけに費用は割高になりやすい。その妥当性を検証しようにも百戦錬磨の競争を生き抜く民間相手にとっては赤子の手を捻るようなもの。