読響

野をつつく鴉の群や時雨あと。兼題が「時雨(しぐれ)」にて稲刈りを終えた田んぼに餌をついばむ鴉を詠んだ。五七五のたった十七文字の雑詠には無駄な贅肉を削ぎ落とさねばならず...。およそ話の肝などは一つだけで、むやみに話が長い御仁なんぞは相手のことなんか考えちゃいない。
読響こと読売日本交響楽団が本市に新たな拠点を構えるというので早速にそちらの「第九」を聴いた、その帰り道...。市外局番に200は役所にてその下の四ケタが課を意味する。マナーモードの設定を解除して履歴を見れば何度か着信をいただいたらしく、向こうの心配など露知らず演奏に興じていたのだからこちとら何とも御気楽な立場なんだけれども、お詫びかたがた折り返したのが運の尽きで主席担当官の尋問に籠絡されて口を割ってしまった。
で、翌朝には想定される質問時間を訊かれて「何でそんなことまでいちいち教えにゃいかんのか」などと無愛想に返事をしたもののはたと気付いた。追い回される苦痛が快楽に変わる瞬間。「そこまで知りたくば仕方がないな、日頃の誼で教えてやろう」などと他人の知りえないとっておきの情報を握っているような優越感に浸る錯覚に陥っているのではないか。尚且つ、そのへんがかえって世のセンセイの傲慢さを助長するのに一役買っていそうで、猜疑心のカタマリである私などはそれすらも役所の陰謀に見えてしまうのだから困った性格である。
本会議場において優越感に浸って踊る主役スターは観客席の倦怠感に気付いていない。またそのKYさが先生の「センセイ」たる所以にて兎にも角にも質問時間が長すぎ。で、肝心な私の質問の内容なんだけど...。
介護の苦悩は当事者の家族にしか分かりえないもので、とりわけ、施設に入りたくても入れない方々の悩みは深刻。目下、特別養護老人ホームはかなりのペースで整備が進むものの、整備が需要に一向に追い付かず。狭き門にて手当たり次第に鉄砲を撃つものの、一向に音沙汰なくば家族の疲労感のみ募るばかり。
各施設に対して個別の申し込みと確認を必要とする本市に対して、横浜市では複数希望までの一括申請と一元管理が可能。利用者の負担軽減が図れるその仕組みは大変好評で本市も真似すべきだと以前に指摘して改善を求めていたんだけど(平成19年 予算審査特別委員会-03月06日-03号)、もうまもなくとの報告を受けてひとまず安堵。それにしても随分と時間を要したナ。で、次なる照準は...。
同じ介護度であっても胃ろう等の医療的処置が必要な方々などはそれを理由に施設側から入居を拒まれがちで、聴覚障害の方々なども意思疎通に手話通訳を介さねばならず、やはり入居可能な施設は限定的。介護報酬により得る収入は同じなのだから看護師等を常駐として抱えれば施設側には大きな負担となる訳でならばいっそ「そんな方々には入居を御遠慮いただいて...」という判断が働くのも当然の帰結で、おい、そりゃダメだぞってね。
そんな方々は全体のほんの一部だから阻害されやすく、ゆえにセンセイの出番ではないかと配慮を求めたんだけど、公有地の活用により施設側の優遇を図ることで特別な方々の入居枠を確保する取組が進むらしく...詳しくは会議録にて。
(平成28年12月23日/2313回)