有馬記念

姿は見えずとも焼き芋の売り子が如く耳に残れば...。話題に上がってなんぼの世界にて口コミ評判にでもなればしめたもの。一軒一軒訪ね歩くこちらを横目に国会議員のセンセイともなれば車上の拡声器から饒舌が流れて。機関銃に火縄銃で挑むようなもので非効率的であることなどは承知の上だが、地べたを歩けば草木に微かな気づきを得ることもあれば、時に縁側の座布団に茶でもいただきながら...。
「まぁどうぞ」と大正生まれのおばあちゃんに席を譲っていただいた。齢九十ともなれば押し売りが通じる相手でもなくたわいもない会話を交わすだけなのだが、それでも不思議と覚えているもので。いつぞやに居合わせた別なセンセイが初対面とばかりに一方的に名刺を手渡せば当人と名刺の顔をまじまじと見比べながら「知らんな」と。で、私のほうを向いてこっちは見たことある。で、肝心の名前は...まぁいいか。閑話休題。
依存症を生む元凶など認める訳にはいかんというけれども有馬記念に年末ジャンボと一攫千金を夢見てひと勝負。そんなスケベ心に勝てば勝ったで興奮冷めやらず、負けた時だけあんなものを容認した政治が悪いなどとの理屈は些か勝手が過ぎやしまいか。手を出した本人の欲が招いた災難を棚に上げて他人様に責任を転嫁しているようでどうも好かん。「蝶よ花よ、かわいいわが子に非はあらず、悪いのは全て学校の先生だ」と教われば社会の不満が募るのも当然か。
それを推進する為の会派横断的な議連なるものもあった以上は反対側にも推進論者が居た訳で己の意に反しての反対は政党政治の悲しい宿命だが、無所属の一匹狼ともなればそのへんの「しがらみ」が無い分...。あまりそんなことは公言せぬに限るが、自社の業績とは無縁の公務員の賞与議案の採決を終えた。「無縁」の理由はストが禁止された代償だとか。そんな賞与の額は民間の給与水準に応じて人事院なる官公庁から勧告がされる訳で、それだけ聞くとふむふむとなるんだけど「民間の給与水準」の定義に関しては何かと議論のあるところらしく。
で、同時に自ら、つまりはセンセイ方の賞与も勧告に従って議決されてきたんだけど、こと近年は無所属のセンセイ方の一部に反対する向きもあるようで。こんな御時世にあっては貰って当然などと諸手を上げてともいかず、そりゃ自らの賞与を自ら承認する訳だから良心の呵責に苛まれつつ採決を迎えるんだけど、反対側とてそれほど気に要らぬのあれば支給を御辞退すればいいのだが、自主返納は制度的に出来ぬ仕組みになっているとかで、結果的には反対者を含む「全員に」「全額が」キチンと支給されていて...。
あくまでもあまのじゃく的な見方だけれども最終的にそうなることを見越して「あえて」演じているとなれば虫が良すぎやしまいかと。それでいて私は反対したが彼らのせいでなどと吹聴されては依存症の口上と何ら変わらぬ。かの哲学者ニーチェの著作に偽善者の功罪を説いたものがあるとか。悪人以上に偽善者は厄介なものではないかと。
(平成28年12月19日/2312回)