手すり

妻にすら言われたことがないんだけど(というかそもそも戦力外だから...)、「明日お願いします」との貼り紙。ミックスペーパーの回収が土曜日だそうで、不慣れながらもごみ出しを終えた。紙って結構重いんだナ。
成田山の中継を見れば一目瞭然。まくモノなど大した金額ではないにせよ、あれだけの方が群がるのは縁起物にて何とか御利益にあやかろうと。人気力士であればまだしも登壇者がどこぞのセンセイとあっては大した御利益などなさそうなもんだけど、世に物好きな方も多いらしく地元の神社も人人人。
生徒指導上は一度帰宅してからとのことなんだけどそれでは間に合わぬ、示し合わせて下校途中に神社近くの友達の家の玄関にランドセルを置いてそのまま...。されどそんな事情も知らぬ大人は子供以上に必死。ただでさえ身長差がある上に好位置を陣取られては戦果は明らか、そんなに欲深くては福の神も...。妻曰く、昨年などは終了後に一個も拾えず泣いていた生徒が先生に宥められていたのだとか。
帰り際に登壇の御礼と思しき御土産に神社の札と袋詰めの豆をいただくんだけど折角の豆まきでゼロは気の毒、その後も境内で遊ぶ子供たちに「おい、ちゃんと豆拾えたか?」と声をかければ、やはり中には取れなかった子供も居て配り始めたら大好評。随分と御礼まで言われてさぞ票が増えたに...んな、甘くないわナ。
閑話休題。近隣の方々を集めておいてそこに電話一本担当を呼び出して自ら対応を指示する姿こそ模範とされたのも今は昔。わざわざ見せつけずとも何ら不都合はないんだけど、近所の階段に手すりを付けて随分と喜んでいただいたことが過去にあった。
たかが手すり、されど手すり、足下の段差然り当人の身になって気付かされることは少なくない。脳梗塞を患い後遺症が残るもリハビリを続け、いまや山向こうからおらが事務所まで歩けるまでに回復されたTさん、酒席で御一緒した際に駅前の歩道橋の手すりの使い勝手が誠に悪いのだと聞いた。ふ~む、そんなものか程度で翌朝に現地の実況見分に伺えば百聞は一見に如かず。
見れば一目で分かるのだが、それを言語で表現するとなると些か思考回路を働かせねばならず、拙い表現にしばし想像力を働かせて御付き合い願いたいのだが、手すりの繋ぎ部分が真横から伸びていて掴んだまま平行移動する際には繋ぎ部分で一度手を離さねばならぬ不便性がまず一点目。続いてはその手すりの高さが低い上に、階段の一段下から手すりがあるものだから階上からは下を見下ろす格好になり前につんのめる危険性と恐怖心に駆られるとのこと。
階段は下りが危険というのは常識、故に階段のゼロ段目から継続的な手すりがあるといいのだとか。繋ぎ部分なども他の手すりを見れば一度真下に伸びてそこからL字型に壁に付けられているし、「ついで」に申し上げれば棒の先が曲がるのも袖がひっかからない工夫だとか。と学ぶことも多かった。老朽化目立つ歩道橋とあってはそれも当時の遺物であって、別に手を抜いた訳でもないんだろうけど、今や路上の石に躓いて因縁を付けられる時代、改善を指示すれば早速に対応して下さるようで。
近隣の方々を集めずとも...。
(平成29年2月7日/2324回)