非リア

「食える子」の文字がひときわ目を惹いた週刊東洋経済の表紙。塾に私学の負担、報酬がやり玉に上がりがちなこの仕事でさえ悩みの種なのだから他は推して知るべし。格差社会が生む悲劇、過ぎたるは及ばざるが如しで過度な競争が招く社会の疲弊、絶望感と鬱憤がもたらす帰結は隣国に見るまでもなく...。
所詮は大したタマじゃないのだから背伸びしてもたかがしれている訳で、さりとて「オレもあんな風に...」と昇華してくれればまだしも逆に作用されては成長を阻害しかねず、そんな「嫉妬」の例を挙げれば枚挙に暇なし。漢字の部首に見るまでもなくオンナに限定すること勿れ、男の嫉妬心、それが外務省のエリート集団ともなれば余計にタチが悪いのだとか。その間柄は知られたところだけど著者がムネオ氏に陶酔した理由はその世界において珍しく嫉妬心が希薄なことだそうで、元外務省主任分析官の佐藤優氏の「嫉妬と自己愛」を読んだ。
が、近年はそんな大衆心理にも地殻変動が生じていて、嫉妬が薄れ、歪んだ自己愛の増殖が進行中というのが著者の仮説。嫉妬心そのものは否定されるものでもなく、それを好循環に結び付けられればいいんだろうけど、失恋恐怖症が如く劣等感を抱く位ならば...と、あえて土俵に上がらぬ若者の心理を描いた小説の書評はなかなか。そういえば、昨年解散した人気グループのヒット曲にも確かそんな歌詞があったナ。
ここ近年、無差別殺傷事件で有罪が確定した元被告の約6割が社会的に孤立しているとされ、孤立を防ぐことが再発防止につながるとの法務省の研究報告を引用するとともに、秋葉原無差別殺人事件の犯行動機についても独自の分析を寄せている。同じく犯罪のストーカー行為などは相手の拒絶も当人には好意に見えてしまうのは自己陶酔の類。著書にはそんな歪む自己愛と嫉妬心についての対談が含まれるんだけど、精神科医の斎藤環氏によれば原因を読み解くキーワードは「非リア」だそうで。
他者から認められたいという「承認欲求」は誰しもが有するもので孤立しがちな若者も本来はそこで悩み苦しみながら他者との関係を模索していくものなんだけれどもSNSが「緩和」装置となって、いわゆる「いいね!」に代表されるバーチャルな承認欲求が肥大化していく過程で歪な自己愛が育まれるのだとか。で、その修復の為にはやはり実世界におけるよき他者との出会いが重要とされるものの、書物の中で過去の偉人と遭遇することはリアルな人間と同程度の価値があるとの考察は大変興味深い。
著者の観察眼と分析に異論を挟むものではないんだけど、そんな社会現象の原因は新自由主義による競争がもたらした結末と結ばれていて、ならばどうするとの処方箋がないのが些か物足りぬ。まぁ本人は元分析官なのだからあとの出口はセンセイにと言われればそれまでなんだけど、競争など無い方がいいかといえばんなことはなく、どこぞの平等論が跋扈しては社会は衰退の一途を辿る。
ゼロかイチかの話ではなく社会が発展する為にはあくまでも「健全な」競争が促される必要があって、と、同時に物事に挑戦する姿勢は向上心を生み、それが人としての成長に繋がるのではないかと。
(平成29年2月15日/2326回)