覆水

桜の季節。桜の名所数あれど死して再会を誓った想い宿る靖国神社の桜は特別。死と向き合うことで教わることは少なくない。軍国主義を美化するとかそんな稚拙な話ではなくて、死を前に彼らが後世に伝えたかったこととは...。
遡れば平清盛に毛利元就が登場する御当地の歴史もその隆盛は明治初期から戦前に凝縮され、その端緒となったのがこちらだそうで、古く軍港として栄えた広島県呉市と江田島の旧海軍兵学校を案内いただいた。当代一の英才たちが国の命運を背負って挑んだ日露戦争は司馬遼太郎著「坂の上の雲」に詳しいが、同氏によれば資源不足という弱点を見透かされつつも全権大使が綱渡りで結んだ講和条約に弱腰と蜂起した政府批判の反対集会こそが嚆矢であって、それがその後の調子狂いに繋がったと喝破されているのは興味深い。日和見的な平和主義者こそ歴史を知るべきではないかと。
そんな海軍兵学校は明治21年に御当地に移転されたものであって、その前進となる海軍操練所の創設されたのが今や話題のあの近辺。移転の理由は都心の一等地とあっては雑音大きく学問に専念出来かねるとか。ワイドショー的見地からいえば「学園」なんだろうけど、事の深刻度からいえばその比ではないのがこちら。
それで私腹を肥やした訳ではあるまいし、既に現職を退きつも責任を認めたのだから墓を掘り返して死者に鞭打たずとも...。万人が納得する結論などというものはないからまさにそのへん忖度すれば瑕疵そのものこそ追及されたにせよそれなりの合意を得つつ進めた既定路線のちゃぶ台返しの代償あまりにもデカい。覆水盆に返らず、退くも進むも茨道に散らかっていたほうがかえって都合のいい面々も居る訳で...。
かつて本市も総工費6千億円とされた川崎縦貫高速鉄道って壮大な計画があって、やはり全会派が推進を求める既定路線のようなものだったから市長の交代後も推進姿勢は受け継がれたんだけど、さすがにそれだけの投資ともなれば迷いが生じるもの。経済情勢も味方せず逆風と化す中で決断を迫られる日々。議会なんてのは所詮は外野で御都合主義だから言いたい放題。住民投票だなんてのも居たけど、個々が有する情報量が圧倒的に違う上に理よりも情に流されやすくむしろ対立は深刻化しかねず。が、何といっても後は勝手に判断してくれと匙を投げるようでどうも好かん。
世論の動向を見定めつつ、方針を見直すってのはアリだと思うけど、手のひらを返した上にかつての同じ釜の相手を貶めるってのはさすがに人としてどうか。そりゃ忸怩たる想いだったはず、ハシゴ外して逃げやがってって。まぁほんと人の本性が見えますよ、ハイ。その後は新型燃料電池がどうだとかアレコレ意味不明な理由を並べた「凍結」の決断に反論の余地なく...いや、価値なく沈静化されたんだけど、振り返ればまずまずの結論ではなかったかと。
参考人招致の見せしめ効果はそれなりも大山鳴動の結果は鼠一匹どころか...。日本の台所の命運やいかに。
(平成29年4月1日/2337回)