暗喩

そうそう、この前、たまたま酒席に居合わせた御仁がどこぞのセンセイがわざわざ出向かれたことを称賛されていて、酒量も手伝ってか随分と饒舌だったもんだから相槌を打ちつつ聞いていたんだけど、もしや私への当て付けではなかったかと「後で」気付いた。そりゃ生まれてこのかたフツーに生きてくれば頼みごとがある以上は行くのが常識、それが年下ともなれば尚更ってこと位は分かるんだけど、向こうには向こうの都合ってもんがある訳で...。
以前、陳情者を伴って局長への面会に出向いたことがあって、行けば部長以下が一同全員起立、慣れぬ陳情者であれば「さすがセンセイ」となるんだけれども論客のSさんに言わせれば、小学生の授業じゃあるまいし、あれでは気が散って職務に専念出来んから衝立でもどうかと御助言をいただいた。
甘味と異性の誘いを断ったことが無いというのが数少ない自慢の一つにて「たまにはどうか」と乞われて日程を合わせていただいたもんだから久々の出席となった俳句教室。句会ってのはそれぞれにやり方があって、うちの場合は予め用意した五句を無記名で提出(投句)、次にその中から十句を選んで発表(選句)、最後にその点数とともに先生が講評を述べるという流れなんだけど、未だ羞恥心を捨てきれぬものだから(自らの句が)選ばれねば選ばれぬで「ボツ」の烙印を押されたようで何とも寂しくもあり、選ぶにしても玄人っぽく読めぬ漢字を含むを選んでみれば先生の講評が辛かったりもする訳でまさに小学生の授業並みの緊張感。
題材を求めて名所旧跡を歩き回ることを吟行というんだけれどもこちとらそこまでの余裕がないもんだからジョギングがそのへんを兼ねていて、途中で聞いた歌声を「夏めきて音楽室の歌届く」と詠んだ。俳句は物事の見方でおよそ八割が決まるとされるらしく、今回の兼題の一つ「夏めく」は話題が豊富。「厨房にカレーの香り夏めきぬ」なんて句も...。そうそう、夏は確かにカレーだよナ。
「学舎の白亜まぶしく夏に入る」と詠んだのは最高齢95歳の御婦人。年齢の前に「未だ」と平然と言ってのける御婦人も寄る年波には勝てぬらしく、初めて介護保険の申請に出向かれたそうなんだけれども、役所ってのは向こうが来るもんで出向くだけの体力があれば(介護保険は)不要ではないかと諭して気づく酒席の当て付け。
そう、今回詠んだ句の中に「おにやんま追い越していく散歩道」ってのがあって、田舎育ちだから見間違えることはないんだけどあれは確かに季節外れのおにやんまだった。先生が手を入れて「散歩の背追い越していくおにやんま」となったんだけど「おにやんま、ね...」と先生がこぼせば「赤とんぼかも」と御婦人。
「時は今あめが下しる五月哉」とは明智光秀の句。土岐源氏の流れを汲む同氏の「土岐」を「時」にかけ、「雨」を「天(下)」にかけた暗喩とか。どう転んでもそこまでの教養人には見えぬはずなんだけど、よもや私がマラソン大会で異性に抜かれたことを詠んだとでも...。
(平成29年6月1日/2352回)