豚足

税で禄を食んでいる身にて難癖に絡まれる機会も少なくない。私などは低姿勢で風雨が過ぎ去るのをじっと待ちつつ、隙を見て...てな具合なんだけど、後手に回らずとも「そうだんべなぁ」などと東北訛りで飄々と流してしまうのだとか。
それが処世術か天然のめでたさか、どう転んでも前者には見えんのだけれどもそんな天真爛漫のK本県議。帰り際に立ち寄った菊花展にて「オレの出品も見てくれ」などと自慢げに語るもんだから付き合えば隅っこどころか最前列の一番目立つところに置かれていて。「ズルしちゃイカン」と苦言を呈せば、「二日位は水をあげた」と白状した。早速にそんな話を地元の菊花展で披露すれば来年は用意しとくから、と何とも親切な作り手の皆様。
さて、最近読んだ一冊に、やがては名を馳せる某御仁が若かりし頃に過去の失敗を聞かれ、「たかが失恋や左遷ごとき。倒産、投獄、大病を体験せねば一人前ではない」と一喝される場面が登場するんだけど、死と向き合うことで悟ることは少なくない。寺の御住職が一目置かれ、センセイがごく稀に「先生」と言われる所以はそのへんにあるのではないかと思わんでもなく。
転落事故に意識不明の重体、昏睡状態にて生死をさまようこと一ヶ月。遠路、私が見舞いに訪ねた翌日に当人が永久の旅路についた体験にいかなる理由があれ生前に御礼の一言を述べておかねば義理を欠くと見舞には注意を払うも他人様に余計な心配はかけれぬと本人や御家族の意向で伏せられたりもすることも...。
ふとした縁で紹介いただいた御大尽。学生時代に私が代表を務めるチームの監督に迎えて、バットこそ握らなかったものの十分な大枚を叩いていただいた。試合帰りには地元の焼肉店で食べ放題、知らぬ後輩などは豚足を網の上に置いたりもして、「おい、それは焼くんじゃない」。
傍若無人な貧乏学生を御自宅に招いて贅沢にも奥様の手料理を振る舞っていただいた。同い年位の御子息がおられるものの息子同様、というか以上に育てていただいて血縁でもない赤の他人相手にここまで尽くせるものか、そんな御恩は生涯忘れずいづれは自らも社会に恩返しを...と巣立っていった教え子は数知れず。
入退院を繰り返されて久々に見かけたその容姿に不治の病を疑うも心配無用と本人。その後に再入院の噂を聞くも奥様の口固く、「オマエなら教えてくれるかも」と打診されたのがこの夏の合宿時。早速に御自宅に電話をすれば奥様が出られて経緯を申し上げれば、「いま、いるわよ」と久々に本人の声を聞いた。「確かに体調は万全とは言えぬが、まだまだ元気だ」などとウケぬ昔のダジャレを聞かされて受話器を置いた。
御家族に見守られる中、安らかに息を引き取られたという御遺体の横には私の初当選時のポスターが貼られていて...。「アナタたちに相手してもらって本当に幸せな人生だったわよ。隠していたことは許してあげてね」と奥様。御礼を言えぬまま、また一人、恩人が逝った。
(平成29年11月15日/2393回)