親権

年間の被害額は区内だけでも一億円以上。県警監修の下、地元の高校生が防犯DVD制作を手がけるとかでキャストに選ばれし御婦人方。撮影を終えたと聞いて期待を寄せる肝っ玉かあさん...いや、物怖じせぬ女優陣の名演技。
立派な背広に身を包んだ紳士然が善人とは限らず、むしろ冴えぬ風貌に口下手なほうが意外と...。「抜いた」一語を以て人格まで否定されるもんでもなく、些かの不運に同情を寄せてみるのだけれども標的にされた以上は静かに風雨過ぎ去るを待つが得策。追及される側、いや、答弁側なのだから敵に隙を与えぬことに腐心すべきも続く失策。前科なくば「詫び」の一言で済みそうなもんだけど。さりとて、あの紛糾度合いは尋常ならぬ。その偏狭な社会が元凶だったりもして...。
子は庇護されるもの、というよりも天の授かりものにて純粋に愛でられるもの、のはずが...。再婚相手の子ならぬ実子への慙愧に堪えぬ行為に失われた幼き命の御冥福を祈りつつ。「折檻」とは王を諌めた家臣が捕まった檻(てすりの意)が折れた故事に端を発する語なれど、ならぬものはならぬと諭すのと自らの鬱憤のはけ口をそこに求めるのとでは別物。似て「全く」非なる行為は誰が見ても明らかなれどそんな人物に限って「躾」と。繰り返される悲劇に立ちはだかるは親権の壁。
社会の暗部を抉る視点に教わること少なくない話題の監督の最新作にもそんな場面が登場。寒空に立ちすくむ少女の理由知るも連れ帰らば誘拐犯になりかねず。リリー・フランキー演ずる日雇い労働者の治はそのままに立ち去りを決意するのだけれども忍びぬ情が勝り...。そこに介入すれば親子の絆が崩壊しかねぬも精神的に蝕まれた親による行為にて放置されれば悪化の一途。昨今は親権よりも人命の風潮に立入権限というか第三者の介入を後押しする法整備が進む。
が、その後に怨念を抱く親の抵抗すさまじく、時にその行動や常軌を逸する。過去に寄せられた相談、勿論、支援者ならぬ初診というか向こうの御指名による一件があって、聞けば数年前に子が誘拐されて行方不明に、それがどうやら親戚が子供を連れ去ったとの言い分。他市に転校したものの市は情報を知っとるはずで役所が犯罪に加担するとはけしからん。バッチの特権で転校先の校名だけでも聞き出せぬかと。早速に当局に事情伺えば、状況を察した親戚が「匿った」というのが正しい解釈らしく。健やかに育つ御子息の状況だけ確認して母親に断りの電話を入れた。
行政側の判断が狂わば最悪の事態もあり得る訳で、当事者の意識欠如や杜撰な対応が指摘されて久しくも相手は狡猾な千両役者、そこに客観的な判断基準はないだけに全て十把一絡げで論じられては不憫な気がしないでもなく。確かにヒドい対応もあるのだけど...。
本市なども一部に意識高く深夜に及ぶ審議の末に議員立法にて条例を制定した過去を有するのだけれども救える命を守るべく。演台低いとゴネる主役の世話を焼きつつ本日が舞台本番。乞うご期待あれ。
(平成31年2月25日/2484回)