糸瓜

それが血肉になっているかは別にせよ、読んだ冊数と走った距離は他に勝るとも劣らず。「行く先はいつも名著が教えてくれる」との一冊を見かけた。著者はあの番組のプロデューサー。古典的名著にあらずとも話題の新刊に世の潮流を学ぶこともあれば埋もれた一冊が目から鱗だったりも。
手にするは「役所を動かす質問のしかた」であるべきも、己を知り敵知らば百戦危うからず、隣の「公務員が議会対応で困ったら読む本」に手が伸びた。「議員が質問を教えてくれない」、「議員から質問ネタを考えてくれと言われた」、「議員から飲み会に誘われた」等々、単なる用語解説ならぬ具体的な「実例」が紹介されていて、その卓越した知見によもや著者はあの御仁ではあるまいなと恐る恐る見て...ん?安藤、いや、安堵した。
それが賞賛だか侮蔑だか意図は知らんけど与えられる「ミスター」の呼称。議会ならばA(というか安藤)、福祉ならばN、で、選挙ならばこの御仁しか居ない訳で決戦前にK氏を招いての勉強会。何も法文を諳んじ、杓子定規に解釈するのであればそりゃ単なる堅物というか小役人に過ぎず、ミスターのミスターたる所以はやはり実践的な対処法にある訳で、選挙なぞは禁止事項をいかに「都合よく」解釈するか。
戸別訪問の禁止は知られたところだけど、あくまでも「投票依頼を目的とする」訪問が禁止な訳で別な理由ならば...。この頃に訪問すれば相手とて自ずと理由悟るものなれど、そこを意識するかしないかは大きな違い。それはあくまでも一例に過ぎぬが、公職選挙法は世の三大難法の一つであって公務員人生をそこに捧げたと申しても過言ではないと自負してやまぬK氏の講義に学んだ。
当の芝居とは全く無縁であっても「然したる用は無いけれども現れ出でたる」の口上に登場して喝采浴びるは肥後の清正公。ならばこちらに登場願うは...。法で禁じられていることは裏を返せばそれだけ効果的と公言して憚らぬおらがセンセイ。右も左も知らぬ当時、支援者から公約を作るに政策を学ぶべしとの御助言をいただいて訪ねれば、「んな、政策だ、へちまだ」、確かに「へちま」と。
どれほど立派な御託を並べようとも名を書いてもらってなんぼの世界、当選せねば仕事は出来ぬ、兎に角、回るに勝る兵法なしと教わった。いや、回るとて片っ端からでは敵陣営に遭遇して通報されぬとも限らず、門外不出の名簿を授けていただいて。そう、名簿ってのが三種の神器の一つ、誰それの紹介とあらば無碍に扱えぬはセンセイの紹介で訪ねる役所に同じ。本チャン近しと知ってか届く名簿。不思議なもので十年やろうとも新たな紹介先は生まれるもので、そんな心遣いは御年配の方に多いのだけれども自筆が目立つ。
それを抽出するに少なからず思慮を巡らせたであろうし、記す手間とてバカにならぬ。個人情報の扱いも過敏になりつつある今日にあって、支援者に恵まれて数には不自由しないのだけれども紹介者の名とともに自らを売らねば巷の電話帳に同じ。紹介先を回るにも他に忙殺されて深夜早朝といかぬものかと悩んでみるも提供主から同伴の申出あっては公務どころでは...違うか。
(平成31年3月5日/2485回)