花粉
降り注ぐ陽光に似つかわぬ重装備の奥様に「飛散量著しく」と聞いた。人の機微には敏感でも花粉には鈍感、というかいつぞやに受診した抗体検査の陰性結果にそちらとは疎遠を通してきたのだけれども数日前より止まらぬ鼻水。風邪と診断された息子の症状に同じくもソレとて許容量以上を「浴びた」時、つまりはある日突然になり得ると聞いて...。季節限定とは申せど何とも厄介なビョーキではないか。
さて、厚生労働省が公表した結果によればおらが区の平均寿命は男性が全国二位で女性が四位と。ひと昔前であれば好感を以て受け入れられた結果も昨今は手放しで喜べぬ風潮。「それは区内に介護施設が多いことが原因」との風聞の信憑性を確かめるべくレクを受けた。高齢化社会と言われて久しくもそれに「超」が付いてみたり、平均寿命が何歳延びただとか、全国何位になったなどと言われてもピンと来ぬ。何か巧い表現はないものかと耳を立てていたのだけれども公明党の浜田昌利センセイの解説がハマった。
九十歳までの存命確率、平成元年当時は男性が約一割、女性が倍の二割。それが今や男性が二割で女性が四割に。正確を期せばそのへん百分率で示されていてちょうど倍になっていることから伝わりやすく。単純化すればこの平成の御世の間に九十歳まで生きる人が倍となり、今や女性の二人に一人は九十歳まで生きると聞かば人生百年時代も誇張ではないではないかと気付かされる訳で、どうなる社会保障と...その財源。
ごみが典型例、全体が「あまねく」恩恵を受ける施策の財源は税金。一方、全て「とは限らぬ」、リスクを伴うもの、いわゆる医療とか介護は保険。税に比べて保険は受益と負担の関係が明確なだけに支え手以上に対象者多くならば危惧される制度の存続。判定された介護度は十分資格有するも施設に入れぬ不平等感が助長する制度への不満。医療とて少なからぬ当人の不摂生の後始末も含まれれば、話題の終末期医療の扱いには個々の死生観含む生命倫理が絡み、追い討ちをかけるが如く「使わねば損」との意識が蔓延っては。医者とて患者を治す、それはそれとして否定せぬも予防的見地に立つことで余計な負担が減らせるのではないかとの視点。
口の中の清潔を保つ、それは自然と昔から受け継がれてきたことなんだけれども口腔ケアが糖尿病、腎臓病等の慢性疾患や心筋梗塞、認知症等の予防にも効果的と。給食後の歯磨きは言わずもがなもフッ化物洗口が虫歯予防に大きな効果を上げているそうで。市議会の中では幸区選出の野田雅之センセイが心血注ぎ大きな壁に挑んでいて、「その程度」の予算枠で大きな成果を生むのだから意義は十分と思しきも相手の守り堅く。決戦前に歯科医師政治連盟殿からも推薦状が届いたからには...いやいや、子供たちの為に。
治療から予防へ。門を閉ざすは感染症位なもの、発症への対応とて疎かに出来ぬも、やはりその根本的な原因に目を向ける「予防」こそこれからの時代に必要な視点ではないかと。それは医療に限らず、対症療法的な政治から未然に防ぐ政治へ。
(平成31年3月25日/2489回)
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