餃子

改選後の新旧の歓送迎会。そこに公金は一寸たりともない訳で全て自腹である以上は余計な出費は...いや、公金なら尚更です。
同じ釜にてその狙いは分からんでもないのだけれども修学旅行ぢゃあるまいに何故に寝食を共にせにゃいかんのか。まぁ「食」は譲るにせよ、「寝」とあらば気も遣う、いや、それ以上に隣の騒音に寝るに寝れぬ一夜を過ごすよりも個室のほうが「互いに」損失少なく合理的ではないかと思うのは私のみではないらしく賛同者を代表して廉価なビジネスホテルを提案したのだけれども既に役職を返上した身にて権限なく言われるがままに伊豆の温泉宿となった。
選ばぬ相手に尽きぬ話題は退屈させぬも自腹とあらばこちらにも相手を選ぶ権利はある訳で。が、それ以上に目前に迫る大会に翌日の体調に響いてはかなわぬと早々に床に臥した。相方の騒音ならぬ時間一杯、二度寝の結末なのだけれども起床は明け方四時。風呂に早く、そんな時はランに限ると宿を出た。海沿いに一路半島を南下、途中の岬で眺めた水平線から昇る朝日が荘厳だったね。折角の機会ゆえと当日はN君の郷里である沼津市を御案内いただくことになったんだけれども沼津といえばやはり「あの店」なんだけれども、今回は当人贔屓の老舗鮨屋にて舌鼓を打った。
迫る大会なんぞどこへやら、沼津といえばこれを召し上がっていただかなければと案内されし次なる店は...餃子。そう、沼津餃子ってのが最近の名物だそうで鮨の後に大十個をペロリと平らげこれが抜群に旨かった。店主は幼なじみだとかで再会を喜ぶ二人。「彼のことを頼む」などと挨拶されると果たして私が凱旋した際に彼らは同じ言葉を吐いてくれるだろうかとよぎる不安。男児立志出郷関、旅立ち許す親の尽きぬ心配。他人様に迷惑をかけておらぬか。御実家に立ち寄らばN君の母親が玄関を出て迎えて下さった。いい御家庭に育ったんだナ。
さて、子の運動会に問われる出欠。いつまでの親の庇護にあるは本人の為ならず、ましてや思春期にて...と返事してはたと気付いた、別な目的があったではないかと。戦終わらば緊張感が足りぬ。そう、他は五十点満点と思しき点数も英語だけは東大合格者に劣らぬとは妻のささやかな自慢の一つなれど中学生の保護者からこんな話を聞いた。御子息の校内試験の点数が「妻並み」なれど難問並びしか周囲とて大差なく、平均点を聞けど公表出来ぬと学校側。それが示されねば自らの立ち位置が見えぬ。同校のみならず他もそう「らしい」と保護者。
局地的な旋風収まらぬあの政党。学力テストの結果を教師の評価に連動なんてのが耳目を集めた。それを断念させた功績が誇らしげに記された文献を見かけたが、我こそは正論とばかりそこに気付かぬ、というかその弊害を意図的に伏せられては国益にならん。確かにその結果は教師の責任のみならずやはり本人の努力に負う面が大なれど、ならば責任は一切ないかといわれればんな訳はない訳で。結果は問わぬと教師の良心に委ねるは性善説にてその善意は一部間違った解釈に繋がりかねず。そこをいかに導くか。そこに教育委員会の存在意義があると思うのだけれども保護者の想いは伝わっているか。
(令和元年5月15日/2499回)