公私
公人の参拝は政教分離に抵触しかねぬ、公私問われた時の宰相、相手の意こそ見抜いたものの以後は都合よく利用されて...。信教の自由は憲法に保障された権利であるし、何も拝殿に上がらずと賽銭ならばどうか等々、理屈こねればキリなく。モノ同じくとも扱いが違うことしばしばでその代表例がこちら。混ぜればごみも分ければ資源、そう、ごみの話。
カーソン女史の名著に見るまでもなく生命の誕生以来、ほんのわずかの時代を生きる人類の暴挙に警鐘を鳴らす御仁少なくなく。されど、文明の利器を手放して摂生に励むは修行僧位なもので快適な生活を享受する現代人には届きにくいか。
家庭ごみの持込は固く禁ずの注意はコンビニ。表玄関から出すとならば遵守せねばならん収集日、されど、昼夜曜日問わず用意されとるとあらば何かのついでに...。が、コンビニが排出するごみは事業系ごみ、つまりは自治体が無償で処理する家庭ごみと違い、事業者が自らの責任と負担で業者に委託して処理せねばならず、他から持込まれて生じる手間と負担。
ならば逆はどうか、事業系ごみといえどもモノは同じなのだから勝手口からそっと家庭ごみと一緒に...。委託業者とて相手から料金を受け取りつつも最終処分、つまりは焼却場への持込は別途料金が生じるだけにそちらへ持込まずと他に捨てれば...なんて業者が居ないとも限らず。まぁそれを防ぐ為の許可制度なんだけどナ。
そう、最近などは死亡や転居に伴う家財の整理、一時多量ごみに関する相談が絶えぬとか。分ければ資源といえど分別は億劫な上にやれ家電だ粗大ごみだなどと各々に手間と負担が生じる位ならばいっそまとめてとの声。そんな困っている方々の救済を謳い文句に横行する不用品の善意回収。されど、んな業者はおよそ無許可多く、その後の処理とて不透明。野放図の状態に役所の監督下にあるまともな業者が報われんではないかと当事者の御話を伺った。
事業系ごみの中でも「特別」な処理を要するものは産業廃棄物、いわゆる「産廃」と呼ばれるもので、その一つの品目「廃プラ」は隣国の輸入禁止措置に専門業者による国内処理が追いつかぬとか。見かねた環境省が家庭ごみなど一般廃棄物の処理施設を有する自治体に協力求めるも立ちはだかる壁に笛吹けど踊らずの自治体。
排出抑制の注意喚起も効果は限定的、そもそもの排出量に対して処理が追いつかぬ上に協力拒まれればモノは積もるばかり。一方、海洋プラスチックごみの被害も深刻。輸出時に対価払った以上、不法投棄はあるまいと信じつつも海を越えれば追跡は尚更に困難な訳で見るに何とも複雑。ごみ問題に問われる人類の叡智。
さて、報道に見るどこぞの国の不買運動。そんなに好かんのであれば買わねばいいだけの話、それをあえて「運動」化する意義も理解に苦しむのだけれども、それ以上にあれほどまでにモノを粗末に扱わんでも...。対岸の騒動に学ぶこと少なくなく、あとは読者諸賢の判断に委ねて。
(令和元年7月20日/2512回)
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