社歌

小生如きに三顧の礼を尽くされて分不相応な会長職を拝命することになった。才を買われてというよりも議長ゆえの充職だそうで。無償化などというけれども諸般の事情で夜学を選択せざるを得ない方々の心境など知りえずも、いかなる境遇に置かれようとも学ぶ向上心は忘れてはならず、弁論大会にスポーツと生徒たちの日々の活躍の様子を伺いつつ、応援団となるべく快諾をさせていただいた。市内定時制高校の振興会。
そう、応援団といえば都市対抗野球。市と商工会議所主催による壮行会まで催され、来賓として祝辞を送った以上は応援に駆け付けねばならぬ、メガホン片手に応援席に陣取ること三度。ヒマ人に見られようともその為の「副」議長なのだから留守はそちらに任せて...違うナ。例の一件以来、経営再建というよりも会社の存続かけて相次ぐ主力事業の売却。それで数字の改善は図れるかもしれんけど肝心なのはやはり社員の士気。
経営陣がどれほどハッパをかけようともスポーツが生む魅力に勝るものなく。会社の御荷物と揶揄されがちな部活を残した判断。それに報いるべく背水の陣で試合に臨む選手たちの奮闘に明日への活路を見出さんと声援送る社員の面々。社歌斉唱に見知らぬ隣同士が肩を組んで応援歌を歌わば自ずから一体感も生まれる訳でやはり社内の連帯感こそ業績回復のカギ。準決勝にて涙を呑んだものの社運を願っている。
そんな状況だから地元とて手薄になりがち。そこを守るはやはり後援会。会長自ら精力的に動き回られているそうで陳情絶えず、久々に訪ねたKさん宅の自家製きゅうりの漬物が旨かったナ。法律と申してみても所詮は人為的なものにて完璧ならず、制定時にんなことは想定しとらんかったのではないかと思しき事例や時代にそぐわぬこともしばしば。それでいて担当が視野狭き役人とあらば尚更のこと、民が御上に泣かされる構図は昔に同じ。
中にはそれまでは順調に進みし協議も担当の異動後に態度が急変して頓挫したなんてのもあり、そりゃさすがに看過出来ぬ。大抵は依頼主側の事情が十分に伝わっておらず、そのへんを丁寧に説明すれば役人とて情状酌量、いや、こちらの顔を立ててか善処されたりもするのだけれども一部には役所側の出来ぬ理由がズラリと並び、それは相手の話を聞くというよりもハナから結論ありきの自己保身ではないのかと思しき堅物居士もいたりして。
困っとる人を前に何ゆえにそんな態度でいられるのだろうかと当人の無神経ぶりを憂慮してみたりもするのだけれども。そんな仕草はちゃんと相手にも見えるものでその姿勢が却って不信感を生む反面、逆に相手に寄り添う誠意ある対応示さば相手とて意固地にならず譲歩されたりもするんだけどナ。まぁそんな役人はいつも選手気取りで脇役というか応援席の気分は分からんのだろうけど。
(令和元年7月25日/2513回)