金程

全七作品の紹介と十五年の活動の歩みを綴った記念誌「-わがまち川崎-市民劇の記録」が届いた。巻頭を飾るは代表の藤嶋とみ子さんの挨拶文。以下、続く寄稿文に市長あれど議長なく、そこに不服はないのだけれども定型文というか代筆と思しき文章も。私とて自ら手がけるはやぶさかならずも私個人というよりは肩書に寄せられる依頼だけに首挿げ替えても通ずるよう秘書が抜かりなく。

中でもひときわ目を惹くは観光協会会長の一文。本市が誇る日本民家園を舞台にした作品「日本民家園ものがたり」に触れて、本市初の重要文化財「金程の伊藤邸」が横浜三渓園へ移築されんとするに待ったをかけて市内に留めしは当時の県会議員だった自らの功績、との逸話が披露されており。そう、「金程」は「かなほど」と読むのだけれどもおらが区の地名の一つ。会長に言わせればそれは「市内の旧邸」ではなくて「金程の伊藤邸」でなくてはダメだったんだろうナ、と。

さて、堰切ったかの如く絶えぬ陳情。本人曰く二年ぶりの来訪だそうで。既に定年退職後の再雇用で十年以上、働き続けるOさんの辛口批評を聞いた。話題は例のマスク。不良品の混入は相手方の過失、過失である以上は無償交換となるべきもその後の検品に更なる八億円を払うなど官民の意識の乖離著しいと。

過去の詳しい経緯は知らねど明かな越境。所有地内の電柱の撤去求めど先方より困難との回答があったとか。土地の権利侵害を巡る応酬、不服なら訴訟に応じると譲らぬ相手に挽回の一手求むと依頼主。理不尽な仕打ちに市井の民が困っとるのだから助太刀致せ、と役所をせっついたものの民事不介入の一辺倒。が、ゼロ回答とあらば後でどんな仕打ちに遭うやもしれず、あくまでも御参考ですが...と重い口。道路拡幅など既に用地買収が済んでいても道路付属物、いわゆる電柱等の移設に日時、いや、年月を要すること往々にして役所以上に役所的にて融通が利かぬ、「手ごわい」と。

課税権有する官庁の権限は絶大にしてそんな税金が財源とあらば組織の肥大化に腐敗は必然。そこに監督役たるセンセイの存在意義があって。税金を搾取する側から払う側へと大転換を遂げた民営化もそこが競争なき市場とあらば手負いの虎が野に放たれるが如く。民営化は官の介入拒むに好都合、尚且つ、そちらの退職者の受入先とあれば逆の「恩」が生じる訳で従来の官営以上に...。

隣のK氏が昔話を教えてくれた。おらが区は市の片隅にて市役所行くにも乗り換えが必要。登戸駅にて小田急線から南武線に移る際に気づかされる官民格差。憮然とした駅員の対応は言わずもがな、一車両における扇風機の数の違い、足りぬというのに故障時など直す気配すらなかったとか。そんな著しい格差に不満抱くはK氏のみにあらず。当時、成城学園前に住んでおられた民俗学者の柳田國男氏の沿線散策はつとに有名なれど、「省線になつてしごとぶり最悪なり」とは当人の談だそうで。

省線とは省庁の支配下にある路線、つまりは国鉄の意。戦時下に国営化された南武線も元々は私鉄。市民劇七作品の中に「南武線誕生物語」が含まれる。舞台は見そびれてしまったが、本市とともに歩んだ九十年。それでも随分と快適になった。

(令和2年6月20日/2577回)