群馬
まずは忘れぬうちに前回の宿題を。立ちはだかる巨匠の壁。交響曲は不滅の第九、弦楽四重奏には晩年の傑作が並び。やがてそこにも挑むことになるのだけれども二十代のブラームスが選びし道は...。若かりし日の作品、弦楽「六」重奏に見る大器の片鱗。とりわけ第二楽章がカッコいい。
公演中止が相次ぐ他ホールをよそ目にサマーミューザも無事に幕を閉じた。今年はベートーヴェンの交響曲全九曲のうち第九以外を各楽団が分担。「田園」と名付けられた六以外の偶数番は人気薄。そんな曲目を初参加の楽団に負わせては。ここ何年か本市自慢のホールを知っていただこうと在京以外の楽団も招聘しており。この状況下にはるばる本市まで遠征して下さったのだから歓迎の意を示さねば。
いやいや、別に何か議長として特別な役回りがある訳ではなく、ただ演奏を聴く、いや、客席を一つ埋めるにすぎぬも奇縁はあるもので。当日の公演に居合わせしはS課長。無論、私服なれど隣に美女おらず(余計な御世話だナ)。聞けば今は亡きKセンセイが現職時代に「地方といえど恐るべし実力」と当楽団を絶賛されておられたそうで。いつか必ずと心に刻むもその為だけに御当地に赴くはさすがにキツく、晴れて念願叶ったと本人。
演目は二と四。知られた三は「英雄」、五は「運命」にて四を北欧の巨人に挟まれた乙女になぞらえたのはロベルト・シューマン。二とて若きベートーヴェンの情熱が漲った作品。見事な演奏を披露して下さったのは群馬交響楽団。S課長の「偉業」に故人も草葉の陰に喜んでおられるはず。
閑話休題。ソレを機に内向な意識が広く醸成されてしまったことは悔いていかんともしがいことなれど、怯まぬ冒険心こそが成長の原動力。などといえば語弊があるやもしれぬが、旅先の碑に「山にふし海に浮寝のうき旅も馴れれば馴れて心やすけれ」と見かけた。「馴れ」か。
大半占めるは無症状もしくは軽症者。無症状をいいことに検査をやればクロと思しき連中が市中を闊歩するが拡大の元凶、外歩く非常識なヤツらは言語道断、と憤慨する向きもあるけれど、そもそもに誰であろうと人としての存在そのものが他人様に迷惑をかけるものな訳で何もそこまで聖人ぶらずとも。ただ、軽症か無症状かは雲泥の差。少なくとも軽症者は自覚症状があるのだから人との接触を控えるは常識か。
初動時において臆病が過ぎる位の警戒心は欠かせぬも既に半年以上が経過する中で見えてきた事実。潔癖を維持するに摩耗著しい神経が新たな健康被害を生まぬとも限らず。ワクチンと申しても免疫を培うにおいては同じ。少し前のコラムに五木寛之氏が「日本人は自然と和して暮らしてきた民族」と記しておられたが、人為に依存せずと自然と育まれる免疫もある訳で。
混乱の中に迎える終戦日。今年も全国戦没者追悼者式典への出席を予定していたものの、規模の縮小に伴い、余儀なく出席を見送られ。例年、靖國神社への参拝後、鳥居の脇に掲示された手紙に涙腺を緩ませるのだけれどもそんな過去の社頭が綴られし一冊を読んでいる。
(令和2年8月15日/2588回)
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