泥沼

年に一度「だけ」の議員研修会の立案は議長の専権。ほんのわずかばかりの謝礼を片手に講師探しに奔走。無難な題目は財政か分権にて大学の教授らを招くも授業の延長上にて評判冴えぬこと少なからず。「今回は全く違う分野。いや~、今までで最も興味深く聞いた。議長、ナイスチョイス!」と軽妙な、いや、軽すぎる感想を寄せていただいたのはベテランのAセンセイ。

逮捕から四年、喪が明けし番長の手記が話題に上がり、「俺たちは、猟犬だ」なる衝撃的なオビ付きの新書が書店に並ぶ。国滅ぼすに武器要らず、「阿片」さえあれば。何よりも子供や若者たちに忍びよる脅威、知られざる実態に目を向けるべきではないか、との提起に「若年層における薬物依存症の現状及び対策について」と題した研修会を終えた。講師は国立精神・神経医療研究センター、薬物依存センター所長の松本俊彦氏。

かつて、市内にある薬物依存症の民間リハビリ施設の専門医から話を伺ったことがあって、当時のメモに、刑務所の四分の一が薬物依存者、再犯は懲役二年に前回分の加算は泥沼、日本版ドラッグコート(評論社)とあった。罪を憎んで人を憎まず、麻薬撲滅を使命とするマトリこと麻薬取締官が目を光らせる一方、脱法ドラッグや類似成分を含む市販薬などの氾濫は若者の依存症を助長しかねず。

一般的に依存症に対するリハビリ専門病院が存在するが理想なれど、費用面に偏見、そちらへの過度な依存は他の成長を阻害しかねず。「ない」本市などはそれ以外の面で進んでいるとの評価をいただいた。昨今の刑務所は極寒の独房ならぬ冷暖房が完備、あふれんばかりの受刑者に要する維持費は国民の皆様の税金。再犯多きは居心地の良さかそれとも。進む厳罰化も依存症の更生が単なる服役の延長で事済むか。

「犯罪白書」に見る巷の動向、翌日の朝刊に若者の大麻乱用深刻と見かけた。「ダメ、ゼッタイ。」のポスターに見るは骸骨の図案。一度陥らば抜け出すは容易ならず、水際で阻止せんとする狙いこそ分からんでもないが、後遺症に苦しむ患者救済の視点やいかに。復帰果たさんとするに立ちはだかるは施設の不足以上に偏見の壁。幻聴、錯乱の禁断症状こそ描かれるも依存症に陥る要因は薬物の毒性以上に心的要因も小さからず。誰にも相手にされぬ孤独感こそ耐え難く。

絶望の淵に番長が見し光明は絶縁された妻からの一通のメール。添付されし動画には愛息子の初ホームラン。そして、父の復帰を願って贈られし一本のバット。そんな美談に涙腺が緩んでしまうのだけれども親子の絆に病状が克服されんことを願いつつ。ちなみに余談ながらこたびの所長殿は件の手記にも登場されており。

以前、国立病院機構が運営する重度心身障害児者施設を訪ねた際にやはり「所長」が相手をして下さったのだけれども、最後の砦たらんとする気概に熱く語られていた記憶が重なり。コロナ然り、世の秩序を乱さんとするその正義感や結構なれど過ぎたるは及ばざるが如しにてそれが思わぬ副産物を生むに気づかぬ面々。

続く事務ミスに不祥事、たびに叱責されては隠蔽に走りかねず、いまひとつ寛容さがあっても、と隣の部長の小言に聞いた。よもや私のことではあるまいと思うが。

(令和2年11月30日/2609回)