放流

手が勝手に、とは寝言の類にて、そんなはずが。見えぬ重圧に自由を求めた手は正直。例の署名を迫られて逡巡なくスラスラと。不倶戴天の敵といえども同情あるが人の道。厠にて隣に並びしあの会派のM団長、私を一瞥して発せられし一言や「ヒマでしょ」。

「い、いや」と否定するも上ずった声が精神状態を物語り。いや、それこそが彼なりの慰労に違いない、と好意に解釈していたのだけれども、そんな話をN君に披露するに「逆、逆、それは御祓箱になりし敗者への憐れみであって、団長として留任するオレ様と貴様とは違う」の侮辱的な意味合いを含む、だって。泣きっ面に蜂か。

養殖時には待っていれば与えられるエサも放流されれば自らが探さねばならず。いや、それこそが肝心。堰を切った、などと大仰なことは言わぬ。が、その身分に相談を躊躇されていた方とて。退屈しとるのではないかとの心配は御無用。

そう、障害者グループホーム向けに配布された一枚をお届けいただいた。現在、国から支給される運営費以外に市が独自に上乗せしている加算を見直すとの内容。およそその手の話は「らしき」理由こそ付されるも実際は財政的な事情に負う面が少なからず。つまりは削減ありきで。

ならば、今回はどうか。現行は区分に応じた支給にて軽度の受入ほど手厚く、重度に薄い。その不均衡を是正する、階段の「段差を縮める」と称して全体額を抑制する、はありそうな話。が、今回は体系そのものを逆転させる、つまりは「下り」を「上り」にするというのだから大転換。

その背景には従来の体系では本来は自立して単身生活を目指すべき利用者も厚い加算が足枷となり、施設側が手放さぬ。一方の上流にはより重度な方の受入先となる重症心身障害児施設があって、グループホームへの移行を促すに難色を示されること少なくないとか。川上の滞留を解消するに生まれる余剰。施設に入れぬ障害者の受皿としてグループホーム参入を促進すべく。が、そこに浮かぶは一つの疑問。そもそもに何故に逆進性が生じたか。

遡ること二十年、当時は区分など無く、一律の報酬に施設への入居は「措置」とされた時代。当人の意思や尊重されるべしと「措置から契約へ」が謳われた支援費制度、その後に障害者自立支援法が施行され、報酬体系が見直されるも一律から区分別へ移行されるに軽度の受入は従来よりも報酬が減る。そこを埋めるべく市が加算を行った結果。

さりとて、今回の見直しに伴い、一部の施設に減収が生じやしまいか、との危惧。名選手、名監督にあらず。研究者や医者などその分野における実績、腕前は十分も金銭的にあれこれやりくるするに不器用な方も少なからず。そんな事情はこちらも同じ。利用者の為に何とかせんとの意欲や旺盛にて本来はキチンと申請すれば支給されるべき分が無償、つまりは彼らの善意というか知らぬ間に行われているケースも散見されるとか。

経営面に精通した人材を抱えんとするにも現行の報酬体系にそこまでの余裕なく。そこを補うべく市が新たに支援に乗り出すと聞いた。

(令和3年6月25日/2649回)