鍵盤

ピアノ教室の門を叩きし二人の幼き姉妹。先生の「手を見せて」とのひと言に従順に従って分かれた明暗。「モノになるやもしれぬ」と言われた妹に対して、「一流にはなれぬ」と宣告された姉。鍵盤を触る前に知らされる限界。挫折にめげず、というかそもそもそこに動機なく、二人とも長く続かなかった、と妻。勿論、「姉」です。

演奏家に求められる指の長さと関節の柔軟性。恵まれた体躯にチャイコフスキーの目に留まった才能。ヴィルトゥオーゾとは超絶技巧の主に贈られる称号。満を持して世に問うた交響曲第一番は散々な結果にて失意に暮れる彼の窮地を救ったピアノ協奏曲第二番。その後に祖国追われて以降、失せる意欲に「もう何年もライ麦畑のささやきも白樺のざわめきも聞いていない」と述べた話は有名。

そんな彼が晩年に手がけた一曲が「パガニーニの主題による狂詩曲」。パガニーニといえばまさに超絶技巧の元祖というべき天才ヴァイオリニスト。楽器こそ違えども巨匠への畏敬か。あの魔性、魅惑の旋律の変奏曲に酔いしれており。作曲家の名はセルゲイ・ラフマニノフ。

故人となりし橋田壽賀子氏が世に一石を投じたあの話題。週刊新潮の連載エッセイに里見先生が安楽死と尊厳死を巡る議論の将来予測を試みられており。「世界の趨勢」に押されてそちらに帰結するとの予測も的中を歓迎するものになく。世の中の「正義」は二股膏薬。合法化されれば「患者の為」との名目に外れるタガ。むしろ個々の医者が良心の呵責に悩みつつ「非合法」でやる方が本当ではないか、と心境を吐露されて。

そうそう、合法か否か、深追いせぬほうが時に都合が良かったりするもので、そんな一つがこちら。手入れこそ十分に行き届いているものの、年に数度は被害に見舞われ。確かに闇夜に乗じてひと仕事するには好立地。決して人通りが少ない訳ではないのだけれども抜け道の途中。すぐ隣に御稲荷様が鎮座しているのだからそこにまさに良心の呵責が生まれそうなもんだけど。いや、その道路向かいに市議の事務所あらば清掃員とて放置するはずがない、との深謀遠慮か。えぇ、うちの事務所です。

それが集積所ならばまだしも私有地の際に貫かれる民事不介入。責められるべきは不法投棄の主のはずが批判が向くは土地の所有者。何故に見ず知らずの犯人の後始末など身銭を切ってせねばならんのか、との怒りは当然。期せずして降りかかる厄難、そんな時の為の役所ではあるまいか。

薄型テレビ位であれば隣接の公道付近に移動して通報すれば大目に見てくれそうなもんだけど、それが冷蔵庫、いや、車両となると。警察の検証と申しても撤去費用を負担してくれるものになく、レッカー移動するに相手の同意が必要。ナンバーに相手を特定せんと照会するに立ちはだかる個人情報の壁。

「不介入」と告げられてもその後に困る相手のはけ口やこちら。敵とて譲れぬ一線も互いに相手を知る間柄にて。「まずは現地を確認してから」との返答に、いつしかモノが消えるという不思議な現象。神隠し、ということで。

(令和3年7月5日/2651回)