硯水

当人ゆかりの湧水を硯水に修練に励むが上達の秘訣、との伝承が残るそうで、いつぞやの礼状の字に知るその成果。元会長に元議長、互いに旬を過ぎた元職の身同士といえど年齢の差は親子以上。運転手を仰せつかっての御伴。下男の役とて惜しむべからず、収穫多き旅を終えた。

東と書いて「ひむ(ん)がし」と読む識字率の高さは市歌の冒頭にあり。「みよひんがしに~♪」。そう、「ひんがし」といえばあの句。ひんがしの野にかぎろひの云々と。由縁ある筆柿の古木あり、故に往古より此の家を柿本と称す、との古文書。歌仙祀られし神社にて願をかけるは良句の閃き、いや、こちらは和歌です。雪舟と人麻呂を島根県益田市に学んだ。

そんな市中に目立つは屋根瓦。赤茶色の独特な風合いは三大瓦の一つ、石州瓦。中でもひときわ目立つは二十八万枚もの瓦を外壁に敷き詰めた県立美術館。建設費は知らぬ、が、さすがに威風堂々として。瓦の重量に耐えるは柱に梁とて太くなければならず、時代にそぐわぬながらも受け継がれるは土焼き文化。

墨字に朱印、木箱入りこそ高価の証、程度の認識しか持ち合わせず。議長室に飾るに恥じぬその品も肩書が外れれば。物置に眠るより生きて人目に触れてこそ、と他人に譲り。そもそもに美か醜か、風合いが云々など個の価値観に負うもの。丹精込めた一品と知れど関心なくば猫に小判、バザーの瀬戸物に変わらぬ。器に掛軸を愛でるが嗜み。弟子に選択権なきが徒弟制の悲しい性にて茶道の師匠こそが上客となり。

一楽二萩三唐津。翌日に訪ねるは萩焼の名匠。ゴルフクラブは選べども人は選ばず。対人に不得手なし、といえども偏屈多きが職人の世界。尚且つ、人間国宝を輩出した窯元、一見どころか世に知られた陶芸家とて滅多に会えぬ、と聞くも、それを克服するが年の功。晴れて面会の栄に浴するもその分野の知識とて皆無なのだから失礼この上無く。

いつぞやに放映されたあの朝の連ドラに学んでおけば、と後悔先に立たず。かくなる上は禅問答が如く。利休の評に茶器が化けた話は過去に記すも茶器の価値とはこれいかに。不躾な質問にも気さくに応じていただき、別れ際には記念撮影まで快く。木箱ひとつにも理由があって。陶芸の何たるか、こんど聞かせてしんぜましょう。アホか。

そう、萩に忘れてならぬ松陰先生。旧跡に学ぶは功績なれど偉人輩出の背景に土地の風土あり。萩藩主といえば毛利公。菩提寺とされる大照院にて拝むは毛利家墓所。墓には惹かれぬものなれど並ぶ石灯籠に静謐な空間は不思議な趣があって。

衣食足りて知るは礼節。メシ旨き土地に悪人なし。地元の方々の人柄に触れて、食に舌鼓を打ち、地酒に酔いしれ。下男の対価以上のもてなし。随分と馳走になってしまった。

(令和3年12月6日/2680回)