牙城

演歌と時代劇を愛してやまぬO幹事長から「字は心」と教わり、郷土史に偲ぶ昔日寒の内、と一句添えて御礼に代えた。柿生と岡上の頭文字を冠して柿岡塾。地元の古老が編纂された「柿ふる里」を謹呈いただいた。

転倒寸前に手は出れど、それに勝るは体重だった、と本人。よもや反射神経の良さに「若さ」を誇示しとる訳ではないと思うけど。「あの日」のとんだ災難、手術後に復帰果たせしYセンセイを迎えての常任委員会の論戦。

老朽化著しい施設の複合化。土地の有効利用と一体的な管理運営に負担軽減を図る。ということで俎上に上がるは富士見公園内に立地する教育文化会館と労働会館。上層階に労働会館、下層階は教育文化会館が占めるとされて、サウンディング型市場調査を実施した、と報告を受けた。

民間事業者のノウハウや幅広いアイデアを募集、というのが趣旨、パブリックコメントと並ぶ今どきの流行も、知恵を寄こせとせがむは自らの無能ぶりを晒すようなもんで。時に「やってる感」の演出にしか見えぬことも、そのへんはいづれ。

話を元に戻す。となると、民間に委ねる方向性は決まっていて。指定管理者を前提に一体的な管理を目指す、と労働会館を所管する経済労働局。とあらば必然的に下層階とてそうなる「はず」なのだけれども、そちらの所管先や「未だ検討中」との姿勢崩さず。市が公言して既にサウンド調査も催しとるに、この期に及んでやるかやらぬか分からぬ、では整合性がとれておらぬ、と上がる気炎。

何と申しても教育文化会館は市民館の大本山。仮にそこに風穴あけば他の市民館に飛び火すること必至。何としても直営を死守せねばならんとの蜂起が予想され。利用者サービスの低下を招きかねぬ、と煽動するはいつもの手口。仮にそこだけに「限定」しても折角の牙城を敵方に明け渡すことにもなりかねず、掌握下の出資法人に委ねんと画策すれど、上層階側と折り合いが付くか。

ならば複合体にて双方に果実分け合えばいいではないか、とは勝手な推測なれど、もはやどちらの味方だか分からぬ。そのへんが不器用というか、煮え切らぬ姿勢がもどかしさを駆り立てて。決して軽からぬ決断と知るも何故に判断下すにそこまでの時間を要するか。それが通ずるは役所の特権なれど民間との意識の乖離は甚だしく、井の中の蛙か。

緩まぬ追及の手。過去の災害時に浮かび上がるは責任の所在。施設そのものは市の所有なれど、運営を担うは指定管理者。生じた被害を巡り紛糾した経緯あり。過去の教訓が生かされておらぬと。そこは急所と知れど、急所となるにはそれだけの理由がある訳で。

契約に新たな一文、ましてや「補償」なんて二字が入ろうものなら「別途」費用が生じるは世の常識。あくまでも仮定の話にて深掘りするに限界あれど、互いに知らぬ存ぜぬ、ではさすがに。非常時にこそ問われる真価。業者選びは慎重に。

(令和4年1月30日/2691回)