家宝

言わずと知れた最古の職業。ならば二番目は。そんな相手と待ち合わせするにアムステルダムの西運河地区は理に適う、どちらもつまるところいかに人を偽るかを知り尽くした職業、と著者。

鑑定士なる職業が注目浴びるはあの番組。先祖伝来の家宝への評価額。古美術商とて素人相手に偽物として仕入れて本物として売ればひと儲けを狙えるやもしれず。モノの真贋の前に鑑定の真贋やいかに。家宝とあらば真贋など棚に上げておくが利口か。

疑うこと、それこそが当人が残した重要な教訓。他に増して専門家の鑑定に支えられた美術界の土台に激震を生んだ世紀の贋作。漫画「ギャラリーフェイク」以来、久々にその手の一冊を読んだ。「私はフェルメール」(フランク・ウイン著)。

その作品を手がけたのは私、との臆面もなき供述に白日の下に晒される脅威の事実。その作品が表舞台に登場する過程において被告はその巨匠の名など一度も口にしておらず、専門家が勝手にそう思い込んだだけ。そのどこが詐欺か、と弁護側。

且つ、判明以降、所有者から払戻し騒ぎは生じておらず。今や誰もが知るその画家の名を更に高めた可能性とて。言い渡されし判決は禁固一年、最も軽い、とはいえ有罪だけど。

当代随一の権威が陥りがちな盲点。その空白の間の作品がどこぞに埋もれている、に違いない、とする幻の傑作への妄想が判断を歪めた可能性。模倣の技術のみならず、緻密に計算し尽くされた作戦も一流。

第一人者が下した鑑定の結果に疑義を挟まぬ、いや、挟めぬ同業者、盲従した画商、それを扇動的に伝えたジャーナリスト、本物と信じて疑わず作品を賞賛する一般大衆。そこまでいけば別な価値とて生まれそうで。なぜ、贋作が試みられるのか。なぜ、専門家をはじめとした人々がそこまでの間違いを犯したのか。美術作品の真贋性を判断するということはいかなることか等々。

「~の手とされている」の一文は、一流の鑑定といえど絶対はない、と知るオークションハウスの知恵。作品以上に権威の一言に翻弄される心理、権威ある相手の言葉を鵜呑みにすること、それは美術界に限った話にあらず。

職業に貴賎なし。昨今の巷に氾濫するは「エッセンシャルワーカー」なる職業。言わんとする趣旨こそ否定せぬまでも度々示される謝意がどこか空疎に響くは偏屈者の証左かもしれぬ。が、無償ならぬ、仕事への対価を得とる以上は当然の行為であって、言われたほうとて「他にも」と思わぬか。

何よりもどこまで包含されるのか見えぬ。医師に看護師、介護職、位ならばなんとなく。ならば、保健士に消防士、バスの運転手、ごみの清掃員の扱いやいかに。辞書を調べれば「きわめて重要な」という意らしく。重要か否か、職業に線は引けるのか。所詮、オレたちは、と卑下する方々とて。

勝手な解釈の余地が残るは造語の欠陥なれど、一部の職業への誤解を生みかねぬ流行語にあるまいか、と。

(令和4年2月10日/2693回)