三日

歴史の分水嶺、天下三分の計を決定づけた赤壁の戦い。呉を平らげんとの魏の野望に割れる重臣。開戦か降伏か。開戦を決断させるべく単身乗り込んだ孔明の大論陣に国の命運を託されるは紅顔の美周郎との異名有する知将、周瑜。ここまま劉備のもとに帰さばいづれ呉国の脅威となりかねぬ。失敗にかこつけて、と抱かれる殺意。

水上戦に欠かせぬ矢。十万の矢の調達を命ぜられる孔明。鍛冶屋に材料は幾らでも融通するゆえ十日で何とか、との難題に相手の意図を見て取る孔明の返答や「十日はいらぬ。三日もあれば」。三国志オタクですから。

序二段、幕下、結びは横綱。研究日と称した稽古日が三日。その後に迎える本戦は四日間。千秋楽は幕内のみ、結びの一番は大関以上に限る、なんて決まりはないのだけれども。後陣を占めるはベテラン勢。相撲の番付じゃあるまいに。発言の順序と内容の優劣に相関性なく。大物感を演出せんとの野心などとうの昔に捨てており。

埋まらぬ初日。そこには露払い、幕下扱いされかねぬ、いや、それ以上に準備の時間が足りぬ、というのがその言い分。「間に合わぬ」など見方変えれば自らの無能を公言するようなもので、三日で出来ねば十日でも。独占欲が強き御仁に運は味方せぬ。何よりも欲張っていては運の入り込む余地はないではないか。

譲れるものは何でも譲る、身を軽くしておくことこそ。元々の器量が小さいからそうでもせねば、いや、単に主体性が無いだけか。まぁ、んなことはどうでもいいのだけれども「初日」の「先発」、いわゆるポールポジションに名乗りを上げて臨むは予算審査特別委員会。

仙人が如き風貌も子供たちに慕われる姿に見て取る本人の適性。役人人生、流転の末に辿り着いた結論、余生はそこに身を投ぜんと。それを天下りと呼ぶかは別にしてそんな施設長の熱意にほだされて立った質問台。残された会議録(平成28年第4回定例会-12月21日-09号)に振り返る過去。

そう、手渡された要望書を片手に施設長の熱意そのままの直談判に臨んで示される返答や「いづれ」。おい、それっぽっちではこちらの顔が立たぬ。少なくとも「やる」方向性位は示してもらわねば、と求めた結果がその内容。一応、やりそうな気配が窺い知れるけど。まだか、まだか、矢の催促は逆効果になりかねず。

昨今なんぞは資産マネジメントに施設の長寿命化などと施設の更新への予算的措置はシブく。そんな時代の波に埋没してしまったかもしれぬ。あれから五年。手元の予算書に見る関連予算。のみならず、冒頭の施政方針に明言されるは川崎授産学園の再編整備。

複合化の文字こそないものの、生活介護、短期入所事業等の定員増に敷地の有効活用による無駄なき移設計画。地域交流を図らんと地元の篤志家が残した天体望遠鏡も残されるとか。五億円では些か少額にあるまいか。いや、完成は令和七年度の予定、あくまでも初年度分だそうで。

「よくぞ、でかした。さぞ、かの施設長も喜んどるに違いない。これでようやく遺言どおりに」、と言いかけて遮る相手。「まだ、御健在、というか、施設長のまま」と。

(令和4年3月10日/2698回)