別館

馬耳東風、とは大袈裟か。当初のそっけない対応も一変、市議が添えた一言の効果は抜群だったらしく。その後も本当によく対応して下さる、とMさん。「あの日」に骨折したのはYセンセイのみならず。

かかりつけ医への途中の坂道にて転倒、右手首を骨折。御年配とあれば回復遅く、ようやく固定具が外れた、と御令嬢。母君の見舞に訪ねた御宅にて小さな花瓶に飾られる蕗の花。鍋を振るがリハビリだそうで、御礼に、といただいた蕗味噌が最高に旨かった。

さて、少し前のコラムにカタカナの氾濫を取りあげておられ。インフォームド・コンセントにクォリティ・オブ・ライフが典型例、舶来のまま安直に使用するとその概念が何となく理解できた錯覚に陥り云々と。週刊新潮に連載の里見先生のコラム。井の中の蛙、ならぬ「医」の中の蛙。

本市が誇る、いや、誇った市民ミュージアムは数年前の台風に地下の収蔵品が水浸し。何故に地下なんぞにそんな大切な品々を。そんな事態は想定外、と今も修復が続く。閉館を余儀なくされて再建の方向が示されるもその先が見えず。ヒントを得んと方々の美術館を物色しているのだけれども作品ばかりに目が向いて。

それをハコモノと呼ぶか否かは別にして市の看板を背負う以上は外観とて、と依頼されるは高名な建築家。一方で伸びぬ入館者数に日々の収支は芳しくなく。切り札とされた民間活用、指定管理者制度を直営に戻すとか。

芸術とはかくなるもの、と当然が如く埋め合わされるモデルも昨今の世にあって巷の理解を得られる可能性やいかほどか。ましてや首都圏において名だたる美術館がひしめく中にあって本市が「自前」「単独」で勝算を見出すなど。ならば、どこぞの遊園地、テーマパークが如くフランチャイズなんてのは。

かつて鉄鋼と造船に誇った栄華もどこへやら。凋落の一途を辿る工業都市に新たな観光資源を、スペインのビルバオに建造された歪な建物は米国に本拠を有する美術館の別館だそうで。世間の耳目を集めるに奏功すれど実際の収益や採算などはどうか。かつて名古屋市が誘致した別館のその後を見れば。

いや、何も勝者に便乗せずと、全国を見渡せば本市以上に存続の危機に瀕しとる地方の美術館は少なからず、美術館の目的や人を幸せにすること、コラボとて。

何も相手は玄人のみにあらず、本物ならぬ陶板の複製画が話題を呼ぶ大塚国際美術館。わざわざ出向くに惜しまれる手間。ならば「いつでも」「どこでも」と「仮想」に活路を見出さんとするIJC美術館。最近届いた児童作品展の図録に子供たちの作品を鑑賞しつつ、アレコレと勝手に想像を。

およそこの手の話は「外部有識者」なるエラいセンセイ方を含む検討委員会にて話が進むこと往々にして、門外漢は口を挟むな、との権威こそが障壁だったりもするのだけれども、「ミュージアム」は美術館のみにあらず、博物館とて。となるとその道の権威とて二手に。安からぬ投資を伴うものだけに。

(令和4年3月20日/2700回)