解散
久々に訪ねた旧家に笑顔で迎えていただいた。父君の急逝に若くして家業を継いだ御子息も一家の大黒柱として立派に役目を果たしておられ。当時どことなく残ったあどけなさも今やすっかり精悍な顔、というか、父君に似てきたな。
子が孫が曾孫が爺の焼き置きし炭を使はむ納屋に積みおく、とは御当地にて詠まれた句。良炭と養蚕に栄えた村に押し寄せる都市化の波。営農か宅地化か迫られる判断。ほとんどが山林。開墾の意欲あれどそれを許さぬ土地の形状。駅まで徒歩圏内とあらば宅地化にひと財産を目論んでも。その決断が左右する将来、まさに子や孫も。「覚悟のいる選択」だったと回顧録に見かけた。
市政広しといえども在職二十年にも及べば何かしら関与しているもの。が、さすがに昭和五十二年とあらば。解散できぬはやむにやまれぬ理由があったから。長年の懸案に幕を下さんと奔走された委員長の功績や小さからず。
組合の設立、鍬入れの当時などは安からぬ公費が投入され、そこに市議が絡んだことは容易に察するも、解散時に「たまたま」その役職だったというだけで来賓席に座るというのは何とも複雑な心境。組合は解散となれど河川の護岸改修に道路の拡幅と継続した支援を、と求めた委員長に「残された宿題をしっかりやります」と呼応した部長とてあと数日で退職を迎える訳で。
いや、部長とて何も好んで出席しとるものになく。招待状に欠席は失礼との判断に、そこは行政の連続性なるもので、あくまでも個人ならぬ「市」として宿題の完遂するとの意を示したものに他ならず。ならば市議は。そ、そう、役所の監督役だから空手形にならぬよう証人として云々、と勝手に納得して図々しくも記念撮影に応じてしまった。黒川東土地改良事業共同施工解散式。
作る喜びから売れる喜びへ。開店前の朝は荷を届ける地元農家の声に沸く大型農産物直売所「セレサモス」。農家の生産意欲の向上に大きく寄与すれど、搬入される農産物の品質は様々。直売所ならではの農家自慢の一品の一方、粗悪品とはいわぬまでも、さすがにこれは、との品もあるらしく、そこに見てとる生産者の意識の違い。
いや、何も一級品にあらずとも、天の恵みとあらば捨てるに惜しい等々の言い分、いづれも地元農家の産物とあらば新鮮には違いなく。店頭の陳列時に貼られる生産者の氏名に値段とて自らの判断で。とすると選択は消費者に委ねられ、とは申せど、さすがに著しく劣っては店全体の評判を左右しかねぬ、と設けられる基準の徹底を図るべく派遣されるは検査員。
それだけの荷を集めるは農協の底力なれど出荷者は組合員、つまりは株主というか出資者となる訳で。頼まれて出荷しとるのに門前払いなど。搬入口の門番と出荷者は互いに顔見知りとあらば尚更のこと。それでも店舗の販売は好調とか。
(令和4年3月30日/2702回)
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