縄文

首都圏にあって自然に囲まれたエリアは本市自慢の観光スポット。園児たちの日帰り遠足に賑わう生田緑地を訪ねた。目的は「TARO賞」こと岡本太郎現代芸術賞展。

古典から印象派位ならまだしも現代美術とあらば悩む解釈。慣れた日常から時に異次元の世界を覗くのも。大衆に媚びてまで評価してもらわずとも、と我を貫く芸術家に、その域に到達せんともがく鑑賞者。

一端の芸術家が心血を注いだ自慢の力作にて巧拙を問わば「巧」には違いないのだろうけど、得体の知れぬ作品に意味不明、というのが本音に近く。そんな時にはまことに便利な修辞句が存在する訳で。この作品は極めて前衛的だ、などと申しておけば双方に円く。鑑賞すべきは作品のみにあらず、図録に記された審査評に学ぶ表現。

そもそもにあの異色「とされる」縄文式土器の中にこそ日本人の本質が、と喝破する御仁の名を冠する以上、他を圧倒する迫力がなければ、と勝手に。常設展にてゆかりの画家の作品とともに綴られる同氏との思い出。「アンタの絵はヘタクソなところがいい、オレは上手すぎて困っているんだ」との諧謔的な表現が当人らしく。それも相手との気の置けぬ距離があってこそか。閑話休題。

そこにどれほどの効果があろうか。「密」避けるべく間隔開けて配置すると席が一つ足りぬ。コの字型の席次にて詰めれば何とか、などとイチャモンつけるは意地悪。貴賓席ならばまだしも外野に置かれた一席とあらば疎外感は否めず。議事の運営に協力、いや、譲歩するは最大会派の宿命とばかりに回って来る火鉢。

意欲ある新人では不憫、重鎮を追いやるに姥捨山の扱いをされては、と臥薪嘗胆の一年。挙手発言するにも前の委員の背中越しに背伸び又は起立でもせねば役人の姿が見えぬ。どうせ、カメラにも映らぬのだからいっそ不在でも。いやいや、この間、無欠席に発言回数とて「ゼロ」ではなく、とだけ。

そう、年度末の終盤の一幕。常任委員会への出頭、ならぬ「出席」は初めてと思しき理事者が答弁に窮したことがあって。質問側とてそこまでの悪意はなかったのだろうけど、的を射ぬ、というか狼狽、「しどろもどろ」の状態に漏れる失笑。極度の緊張が招いた悲劇とはいえ、予め想定を用意しておくとか、もそっと悪知恵が働いても。

あくまでも身から出た錆びなれど大の大人に恥をかかせるは何とも。そんな時こそ人の性格が窺い知るに絶好の機会となる訳で。どことなく不穏な雰囲気に更なる追及を狙わんとする陰険な委員が居ないとも限らず。膠着、緊迫の場面に自ら発言の機会を求めて挙手するは新人。

肝心な内容はとうに忘れてしまったものの、場を和ませるに十分。それこそが大人の対応であって席を譲りし甲斐が。座って気付かされる外野の居心地に残留を所望すれど。新年度の配属は最後に残りし「文教」委員会の一枠に。

(令和4年4月5日/2703回)