自費

二月に申請したはずの療養証明書が未だ届かぬ、と地元のN兄から相談が寄せられた。市に問い合わせれば、「ちょうど封入の最中にて週中には御手元に」と担当者。あくまでも不作為の結果とのことなれど、あまりにも「よくできた話」にて逆に不信感を抱かれはせぬか。

コンビニのレジにせよ銀行の窓口にせよ、要領を得ぬは人に負うところ大にして役所のみにあらず。昨今などは役所とて随分と改善された、はずなのだけれども。不運は重なるもの。世故に長けた御仁ならば週明けの朝イチこそ鬼門と知るべしも繋がらぬ電話。時間外は自動音声と初めて知った。

代理人とはいえども申請時に担当の所作に何か予感がしたに違いなく、それが年度末とあらば尚更。「異動」が原因と申してもそりゃあくまでも役所側の都合であって、それを口実とするは逆効果になりかねず。未だ下りぬ承認に業を煮やした当事者から「二」度目の御電話をいただいてしまった。何よりも私が忘れていたかの如く誤解されるは心外。ちゃんと念押ししたはずも、との弁明もどこまで響くか。それでいて自動音声に出鼻を挫かれては。

あの市議ならば怒髪天を衝くところなれど、そこは大人の対応にて「早急に頼む」と告げれば翌日に。やれば出来る、というか、んなことで自らの印象を損ねるは何とも。いつも一方的に断罪しとるばかりで厄介な事案を市議がゴリ押しした可能性はないか。ということで、その申請内容やいかに。

晴天の霹靂に戸惑わぬ為の対策、と申しても近親の死を前提とするだけに。逆に、対策を講じねば切羽詰まった状況に足元を見られかねず。そう、相続税の支払い原資となる土地の売却。四角形の面積求むるに肝心な四隅、そこにあるはずの杭が、「ない」。土地こそ命、境界杭が夜な夜な移動する怪はつまりはそういうことなれど、それは地べたが「土」であった時代の話であって、今や抜けぬ。

道路の舗装や掘削時に抜いた杭を戻し忘れたと見るのが妥当なれど、キチンと事後の点検を行っておりますゆえそれはない、と役所側。おい、アスファルトに刺さった杭が消えるかね。点検と申しても人が為す以上はミスとてゼロにはあるまい。が、消えた杭を巡ってアレコレと応酬を続けるは時間の無駄。位置云々というよりも「ない」ことが問題なのだから改めて測量を実施した上で杭を入れれば済む話。

が、測量を行うは市か当事者か。当人に瑕疵はない以上、市がその責任を負うが妥当であって、ちゃんとその為の制度が用意されているものの。ならば、そちらを利用して、と求むるは当人のみならず。限られた予算に申請待ちの列長く、順番と申しても。自費でやる、とはつまりそういうこと、一刻を争う、であるが故に市議も介入して早めの承認を求めた訳で。

本来は役所が負担すべき費用を依頼主自らが負担して下さるというのだから承認の押印位は早めに。もそっと相手の事情を酌むという姿勢があればこんなことには。惜しい。

(令和4年4月15日/2705回)