藤稔

こちらはランで向こうはゴルフ、交換条件のはずが。謝礼とばかりに招待されるは名門コース。さすがは中学生、俊敏で動き軽く、私のボールを探して覗く双眼鏡や距離の測定器だそうで。「エッジまで150ヤード、ピン奥」と。んな正確に打てれば相手などしてもらわぬ。

未だ慣れぬ専門用語。「デポットにメッチ」、いや、正確には「ディボット」に「目土」。スイング時に刈り取った芝に砂をかける、もしくは、ボール落下時に生じたグリーン上の凹んだ穴をなおす、ということらしく。応急的な措置にその後の回復が全然違うとか。

あくまでもマナー。環境保全派というよりも一度やり始めると癖になり、他人の分までせっせと。そんな行為にゴルフの神様がバーディーを与えてくれたりするものらしく。途中の短いバーディーパット、外しちゃったよ。所詮は神様など。

依然と目立つ話題に鼻息荒きはあの政党。まさに水と油、彼らの経典は理に則ったものだから目に見えぬ不可抗力があっては不都合な訳で、目の敵とばかりに周囲まで巻き込んで。身内が分断されし悲運は聞くにしのびぬが、過ぎた信仰による被害はそこばかりになく。

厄介なことに本人に被害意識なきこと多く、逆にそこに救われた人とてゼロではあるまい。特定の団体が取り沙汰されるに火の粉が降りかからぬように、と知らぬ顔の団体もありそうなもんだけど、もし、逆ならば思想信条の自由を阻害されたなんて。

一つの接点をもって人格が問われるかの如くの印象操作は酷く。当落上ならば票が絡んで組織的な対応にすがった人もいるのだろうけど。ちなみに、うちは「南無阿弥陀仏」。由緒正しい、とはいわぬが住職の娘は同級生でもあり。

相手の出自や宗派を聞いて陳情に対応するヤツなどどこにいる。たとえ、相手がいかなる身分であれ、困ってとる人を助けるのが使命であって、会うたびに相手を不信の目で見ていたらそちらのほうがよほど人として未熟、信用の置けぬ人物だと思うけど。多少は埃がある方が人として好感が持てはせぬか。

いつぞやに「向こうの話は何一つ聞かぬ」と拒絶して浴びた批判。んな態度で臨まば誘惑も断ちきれそうなもんなれど。誤解を招いたとの弁明に発言を撤回するか否か、などと詰め寄る取材陣も取材陣で。

聞く耳は有するが、善悪は別、私が判断するというのが常識的なところであって、「聞かぬ」とハナから相手を拒絶しては自ら度量の狭さを公言するようなもの。いや、聞く聞かぬは当人の勝手。聞くべし、などと大上段に言える立場にないけれども、相手の身分云々よりも内容で判断するのが大人ってもんで。修辞句「何一つ」が余計だったか。

そう、名門コースとあらば目立つ「接待」と思しき面々。社会的に立派な肩書を有すれど、コース上ではその限りにあらず。別な一面が見えたりもして、人を見る目が養うに格好の機会。世に清廉潔白な御仁など。あらぬ誤解を招かぬよう父君には特注の「藤稔」を返しておいた。

(令和4年8月20日/2729回)