薄型

突然の故障、既に十年と申しても「薄型」には違いなく。叩けど揺らせど反応なく、よもやあの無駄な番組の数々に力尽きた、か。

留守中に応ずるは事務員。民放の取材、というだけで関係を連想させるに十分。それこそが相手の狙いだとすれば。会員ならずと勝手に送られてくる冊子とて。わが信仰を貴殿にも、との親切心は分からんでもないのだけれども。

出来ぬ理由よりも出来る手段を、などと役人相手に説教しておきながら。何も逆風の時に好んで公衆の面前に身を晒さずと。今週「も」本当にやるのか、との打診に、再考の余地なし、代議士とて例外にあらず、と秘書。

そこで隠れてはかえって逆効果、むしろ寒風に晒されたほうが。いやいや、それがどうして立ち止まっての激励多きは土地柄かこちらの人柄か。いや、待てよ。よもやあの宗派の方々か、などと聞けるはずもなく。

宗教は民衆の阿片、と喝破したのはカール・マルクスなれど、狙い打たれる特定の教団。問われるべきは両者の関係性より当事者の救済。当該教団に限らず、他はどうか。画面の向こうに居並ぶ面々とて、あまりにも酷い、被害者は不憫でならぬ、などと騒いでおきながら肝心の救済はどうか。被害は追えどもその後は追わず、聞くだけ聞いて置き去り、とは他人様の関係性を言えるタチか。

閑話休題。打たば憂いなし、「だった」はずが。四回目の接種直後に陽性反応。いや、接種のおかげで軽症だった、などと喜べども、接種せずば重症、など誰も実証しとらんでしょうに。接種せずとも軽症だったりもせぬか。勝手な推理をさも事実が如くすり替えんとの大衆扇動。そりゃ「薄型」とて。

制限緩和、と申せども「外す」にのしかかる同調圧力。同じ市内にありながら異なる対応。市教委としての方針を示せ、いや、示されども下に浸透図られず。朝令暮改の解釈が生む混乱。そう、マスクの話。方針の徹底を求める陳情が常任委員会の俎上に上がり。またも「不採択」、いや、「継続」にて審査を終えた。

迷う判断に上の統一見解を求めたはずも、刻一刻と変化する状況下とあらば、大雑把なものになりかねず、あとは現場で「適宜」というのが。上下の押し付け合いが生んだ悲劇。が、着脱の是非と申してもそこに解なく、解なき問いは自らの存在感を示すに格好の機会。そこを見透かして扇動するにひと悶着を生まん、とのしたたかな御仁がいないとも限らず。

かつての威厳などどこへやら、保護者の顔色うかがうに、んなものは勝手に判断せい、と言えぬが今の教育現場。己の身を守るに他力でどうする、などとエラそうなことを申しても。いつも外野だから言えることで。

(令和4年9月10日/2733回)