十円

さながら判決を言い渡される被告人が如き心境も。そりゃ自業自得ってもんで自らの尻拭いは。向き合う面接官は自らよりも年下なれど役職は向こうが上。彼の胸先三寸で決まる処分に普段はヤンチャな彼らも借り猫が如く。いや、面接官とて本庁の管理職、相手が市議とあらば手心を。そんな機転には長けており。

他には上から目線もそこだけは立場が逆にて、「まぁ彼も反省しとるし、私に免じて」と普段下げぬ頭を。「センセイの依頼とあらば何とかしましょう」というのが役人だと思うのだけれども「んな特権的なことが許される訳なかろうに。無理だよ、無理」とけんもほろろに追い返されること一度ならず。いや、たとえいかなる相手であろうとも、ならぬものはならぬ、と跳ね返す胆力はかえって好感、有望株か。

んな鬼教官が他局に異動されたと聞いて。左遷か栄転か、いづれぬせよ慣れぬ部署にてさぞ、と心配しておればこれが意外と。居合わせし酒席に、あの当時は随分と冷たくあしらわれ、と機先を制さば、いや、職権に出来ぬことはない、が、吹聴される放免の成果に生じる嫉妬心は組織内に禍根を残しかねず。だから内緒だって、違うか。

ということで今日はそんな職場の話。円安、物価高が招く料金の値上げは巷に少なからずも、こちらは些か異なる背景。あの当時、消費税の税率改定に乗じて上程されし議案。逆風の中に可決したはずも。運賃の許認可を握るは国交省。寝耳に水とはいわぬまでも「認めぬ」の一点張り。同時並行に進めるべき国との事前協議がおざなりだった、って話で。

隣市を含む他のバス会社は軒並み値上げに踏み切るも取り残される本市。かえって朗報、というか、前日と同じ運賃に何ら変哲なき日々の利用者。かたや経営側から見れば、本来は得るべき収入が得られぬ。つまりはその分は「損失」となる訳で。ようやく日の目を見た十円の値上げ。

汚名返上と全庁一丸の経営努力が欠かせぬはずも、やれ、サボるな、処分だ、働き足りぬ、と現場への指令だけは。そもそもに機を逸するは事務方の失態のはず。値上げ日の前には、かれこれと手は尽くした、と申しても浸透せぬ現実。新人候補の氏名に同じ、一度聞いた位では。

未だ残る小銭派は私のみならず。悪意なく運賃箱に投じられるはいつもの料金。たかが十円、されど十円。「足りぬ」と告げる勇気に笑顔が返ってくることなく。前回の「特別」乗車証とて市バスに限った話にあらずも問い合わせ受けるは身近な運転手。聞かれて丁寧な接遇を心がければ間に合わぬ発車時刻。

決断は本庁も実行するは現場。そして、矢面に立つのも現場。どこかにあったな、「決断と実行」。少なくとも混乱が予想される当日位、いや、三日前なら尚結構。たとえ半日、ほんの数人、いやヒマな管理職だけでも。バス待ちの列に、来月から料金が変わる、と。それっぽっちでは効果は知れとるというけれども侮れぬ口コミ効果。

同じ屋根の下なのだからそこに壁があっては「損失」とて取り戻せぬのではあるまいか、と。

(令和4年10月20日/2741回)