舗装

合格者数が生む評判。他に負けてたまるか。今やホメて伸ばす時代にあって、「おい、コラ、ちゃんと読める文章を持って来い!」と金八ばりの熱血指導が行われるは塾ならぬ区役所。

金八を演じるは勿論その人であって、部下の反応に感謝が絶えぬ、と聞けど。ホンネや知らぬ。係長試験の合否が判明。不合格者が生ずるに悔いておられるとか。狭門に一浪、二浪は序の口、片手で足りぬ、十指で何とか、と述懐する元秘書に見せられし過去問。

んな設問にバカ正直に向き合っとるから柔軟な発想ができんのであって。んなことに時間を浪費する位ならば一回でも多くクラブを振った方が。そもそもに現役合格とて未来の局長の座が保証されたものになく、肩書なくとも立派に活躍されている職員とて。

役所の常識は世間の非常識、と胸に秘め、知識よりも正しい判断、相手の気持ちに寄り添えること、そして、何よりもフツーの会話が出来ることのほうが。と申しても、やはり、受からぬよりは。祝、合格。

雑務に追われるは当日の問い合わせのみならず。日頃の感謝、本人ならぬ無償奉仕の皆様に、と一筆添えられた差し入れが届く先も、やはり。いっそ、後援会の支所にでも。このバチ当たりが。

突然の発作に救急搬送。御身内の祈り届いてか、大手術に奇跡の生還を遂げたTさん。退院と聞いて見舞いに訪ねし御自宅にて目にする本人は寝たきりに近く。年齢も年齢なだけに。そんな本人自ら届けに来た、と管理人から聞いて。貰った以上は無視出来ぬ、と御礼に伺わば。儀礼の挨拶そこそこに始まるは耳痛き話。何故に川崎市はこんなに道路が悪いのか。

そりゃ今に始まったものになく。道の狭きは過去にそこへの投資を渋ったツケ、と返してみるも、道路幅ならぬ凹凸の話と。そこに気付くは救急車。瀕死の重症者を運ぶ以上は快適な設計になっとるはず、なれど、朦朧とする意識の中にあってもそこだけは忘れぬ、と。

さりとて、市内の道路事情が悪い、などと、んな漠然とした話では「善処」の一言で片づけられかねず。著しく酷い損傷は個別に対応するゆえ、と宥めんとするも。当人の言わんとするは配管工事等の掘削後に見られる舗装のばらつき。

「原」状回復こそ原則なれど、原状にほど遠き「現」状。掘削の発注元とて道路部門のみならず。これっぽっちの受注額ではそこまで手が回らぬ、放っておいてもいづれ市が、なんて。もそっと若ければ私が専門の会社を立ち上げて独占的に仕事を、と。

業者側とて玉石混淆、そのへんの発注のあり方を見直す、手を抜かば次回以降の入札を認めぬ、と断固たる姿勢を示さねば他に範が示せぬ、と当人。ふむ。瀕死になくば気が付かなかった事実。

薄れゆく意識の中にあって三途の川を渡らずに娑婆に踏みとどまりしは本市の劣悪な道路のおかげ、と思えば。よもやそれを告げる為に冥途から。冗談が過ぎたナ。

(令和4年11月30日/2749回)