環境

酒のむ人は花ならつぼみ今日もさけさけ明日もさけ、と注がれるままに。後悔の朝を迎えること往々。酒にゴルフにゴリ押し人事と、職員の申出は拒まぬが信条。いつぞやに一緒に走りし彼が年明け百キロに挑戦すると聞いて、「よし、行くか」と宣言したものの、やっぱり、やめとく。

ウルトラやトレイルなどに挑んどると自然とそちらの意識も育まれるもので。節電に騒ぐのであればイルミネーションこそ目の敵にされるべきであろうし、街路樹の伐採は断じてまかりならんなんてのも。そこまで熱心に環境保護を訴えるのであればいっそ車を捨てればいいではないか、なんて。弱いものが狙い撃ちされとるようでどうも好かぬ。

定例会の代表質問を終えた。何と申しても今回の焦点は太陽光パネル。流行の脱炭素を理由に戸建て住宅等への義務化を図るとされ。環境審議会からの答申を受けて年度内の成立を目指すとか。とすると、もう一度、三月には定例会が残されているではないか、と思うは甘く、次回は最終形が示されて賛否やいかに、となるだけに今回が事実上の天王山、あとは年明けの常任委員会でどこまで深度化が図れるか。

本市の住宅事情を見れば数こそ多くも一戸当たりの面積狭い上に、空はきまぐれ、蓄電できぬ、とあらば実用性とて。あくまでも「推奨」等の選択肢の一つとして示されるならばまだしも反発招くは「義務化」なる三文字。「ネット上に誤った情報が大変多く、これらを総じて負担と感じられている」とは市の答弁。

あくまでも「新築」に限った話で義務を課せられるは家主ならぬ大規模建築物の建築主やハウスメーカー。購入側には「買わぬ」選択肢も残されているとのことなれど今や大半が建売物件にて、いやといえども。設置の義務化が住宅価格の上昇を招きかねぬ、との懸念。「再エネ賦課金等の既存の枠組みの中で初期投資は十分に回収可能」とは審議会の答申なれど、明日の十万よりも今日の一万、それはそれ、これはこれ。将来を見越して安くする、なんてのは。まず、ない。

そもそもに温室効果ガスとは何ぞや。目に見えぬ気体にて何割削減などと申しても実感がわかぬ。パネル一枚を製造するにどれほどのガスが生じたか、普及率がいかほどで、結果として何トンが削減される、など真剣に議論しとるとすれば、もそっと別に目を向けたほうが。いや、そこは否定はせぬし、協力せぬものになく、そんな意識が広く浸透していくことを願うものなれど、「強制」してまで徹底を図らねばならぬとなると。そこまでする位ならば目標そのものを見直したって。

パネルとて使用後は「適正」に処理されて「完全」リサイクルが可能というけれども、あれが大量生産されて巷に氾濫し、何十年後かに廃棄処分される、その一連の過程において何かしらのものは排出される訳で「無害」はありえぬ。それにもまして、どう見てもあの景観が自然に「優しい」ようには見えず。「環境」なる美名の下に欺瞞多しと思うは私だけか。

(令和4年12月10日/2751回)