白鶴

昨年の忘年会の途中、期せず届きし一本。米国カリフォルニア州ナパバレーのカベルネ・ソーヴィニヨン種、いわゆる、ナパのカベルネ、とだけは記憶にあって。既に他の酒に酔いしれとる中にあっても十分な存在感を。

正月からマルゴーとは何とも贅沢。何年ものかは知らぬが、粋な氏子が持参されたらしく。悲しいかな私が耳にした時は既に他の連中の胃袋に収まっており。

あの一件以来、彼らに酒を呑ませてはならぬ、というのが。「彼ら」と申しても二人、はからずも一人は私、だそうで。その罪状や、いつぞやの正月、夕刻に帰らんとする総代の車の前に立ちはだかり、進路を妨害した挙句、自宅まで送れ、と恐喝まがいの行為に及んだ、と。

およそその手の話はヒレが付くもの。実際のところは、あの日の当番であったH君が帰り際にはへべれけにて寒空に見捨てるも不憫とばかり肩を貸して家まで送り届けんとした矢先にちょうど通りかかった総代に当人の送迎を依頼した、というのが正しいところであって、正確には「彼ら」ならぬ「H君」ということになるんだけれども。

いや、こちとて無罪とは言わぬ、酒気帯び位は。そもそもに、こちらがせがんだ、というよりも、酌に来る相手が居て、注がれるから呑むのであって。酌をしに来る方とて純粋な善意というよりも腹に一物、コイツを酔わさば、なんて。

この三が日とてマルゴーこそ逃してしまったものの、ちゃんと「萬壽」の一升ほか旨そうな酒が並び。じっと注がれる酒を見ていたのだけど、私だけ紙パックにあるまいか。いや、紙パックだから云々と言わぬが、相手によって注ぐ酒を変える、それも何やらその酒を低く見とるようで。

折角の御進物を何と心得る、喜んで貰い受けるが人の道ってもんで、などと、一人2リットルを半日で空けてしまい。おい、これっぽっちで酔えるか、と息巻いておれば、こちらの姿を見かけし社務所の管理人から「もうぼちぼちその位に」と。売上はすこぶる好調の中に恒例のだるま売りを終えた。

さて、迎えるは四年に一度の決戦の年。国政の醜聞に下がる支持率、この状況では戦えぬ、なんてボヤきも。いや、そもそもに貴殿なんぞは風が吹こうと吹くまいと、そんな御仁に限って。敵方とて相手を蹴落とさば相対的に浮上して当選圏に近づくなんて発想自体が卑しく。

どうもそのへんが性格というか、戦のたびにくすぶり続ける原因と気づいておらぬ候補者とて少なからず。風のせいにしとるようではゴルフとて上達せぬばかりか、運とて味方せぬ。

初詣とて社殿の前にて心に唱える願い事など知る由もないが、肝心なのは祈願以上に御礼であって、叶わずと手くらいは合わせておきたいもの。元旦とあらば判別つかぬも年末の参拝とあらば目的や一つ。かくありたいもの、と。

(令和5年1月5日/2756回)