薄笑
次世代を担う若者たちの演奏を聴くのがささやかな愉しみの一つ。
突然の体調不良にて代役に立ちし指揮者。経験の不足を補って余りあるあの勢いこそ若者の特権であって、その魅力を引き出さんと不恰好ながらも必死に棒を振る指揮者と呼応する生徒たち。人を動かすは選挙も同じ、そこを余すことなく引き出した代役に拍手。
んな演奏会にてかけられしひと言、「余裕だね」。相手の御顔を拝するに浮かぶ薄笑の意や。招待席とあらば自然と目立つ、本来ならばこちらから挨拶に伺うべき相手も向こうからやってきて下さるし、権威ある面々と並んでおれば宣伝効果は抜群。これこそが最高の活動であって、自然体におらば意図せずと機会がやってくるもの。
運も実力のうち、と今回も都合よく解釈して会場を後に。昭和音大の定期演奏会。
選挙公報に「その候補、選挙の時だけ目立っていませんか」と戦略的ならぬ意地悪な一文を入れた。直前に出てきて、今回は危ない、などと騒ぐに煽られる危機感。彼は票に余裕あるゆえ今回はこちらに、なんて手法が横行するは今日のみにあらず。今月は数字が足りず、大幅に値引くゆえ何とか注文を。そりゃあくまでも自己都合であって相手先には何ら関係ない話、んな営業職はいらぬ、と教わりし社会人時代。
普段など行かぬ会合に顔を出してみたり、卒業式や入学式の祝電をA3にしてみたり、と様々な手段が流行中。いつか来た道、新人ならば一寸の同情あれど、そもそもに危ないなんてのはこの間の活動が足りなかったと自ら公言するようなもの。
直前に増えるは候補者の露出のみにあらず、寄せられる陳情とて何故に今なのか、と猜疑心を抱かせるに十分。踏み絵を迫らん、もしくは、特定の候補に肩入れせんとの下心が見えたりもして。保育士の配置基準の見直しを求める、正確には「国」に求めるべく意見書を、との陳情の審査。
一、二歳児は園児六人につき一人とされる保育士の配置基準を四人に対して一人。つまりは六対一を四対一に、手厚くせん、尚且つ、国に制度改正を求めるべく本市から、などと言わばカッコよく見えるばかりか、責任を国に押しつけてしまえば。
対する国はどうか。あくまでも一つの目安を示したに過ぎず、そちらの独自にて加配、つまりは勝手に保育士を採用することについては文句は言わぬ。事実、現行も一部に加配しとるのだからそちらでやってはどうか、というのがホンネにあるまいか。
仮に基準を見直すにも新たに必要とされる保育士の数。保育士不足の中にあってどこの自治体も獲得に必死。本市とて保育士の処遇改善を図るべく現行とて少なからぬ予算を講じれども潤沢な財源を有する都が隣接にいて見比べればやはり。事実、人材の流出を阻止せねばならぬ、とつい最近まであれほど騒いでおったではないか。とすると、風穴あけたつもりがむしろ逆に、なんて。
それとて選挙の時「だけ」だったりもすること少なからず。オイシイ話にはくれぐれも御用心を。
(令和5年3月15日/2769回)
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