夕日

知人の個展に訪ねるは銀座の画廊ならぬあのまち。シブロゼ片手に作品群を。迎えて下さるはどことなく裸の大将に似た、いや、ちゃんと服は着とるし年齢とて同い年、なれど腹部が多少それらしき。私のホームページを手がけるデザイナーの本職は画家。

趣味は旅行、旅する画家として描いた一枚が目に留まり。ナイル川の対岸、王家の谷に沈まんとする落日を描いた作品の名や「ルクソールの夕日」。夏の日本海、水平線に沈む夕日が海を染めるあの光景が重なり。

幼児の演劇に同じ、全員がシンデレラを演じれるものになく、残枠で結構、と告げて配属されるは昔でいう第一委員会。未だ「第一」だけが無所属の参入を認めず、全五会派のうち四会派の団長が名を連ねるなど、圧倒的な存在感を示す中にあって残枠とは。

面子を見渡すに年齢こそ中堅なれど委員の中では最古参、尚且つ最大会派に属するとあらば書記とて何かと。隠居の身にて荷物にならぬよう、何か困ったことがあれば協力は惜しまぬ、と伝えて手渡される紙切れに記されし日程は視察の候補日だそうで。おい、これを発言するのが私の役目なのか。

目白押しの報告。長寿が歓迎されるは人のみならず、長寿命化といえば聞こえはいいけど。人口が減少する中にあって見込めぬ税収。修繕ほか維持に要する予算は縮小せざるを得ぬ、との説明に口を挟むはM団長。それは役人の勉強不足。経済が拡大すれば税収とて。今こそケインズ、公共投資こそ雇用と成長を生む。ニューディール政策に学ぶべし、と。

かたや、人口減れど肝心の高齢者は増える、つまりは利用者が増える中にあって予算を減らすべきにあらず、とこちらはマルクス。屈指の論客そろう中にあって、学派の論戦を興味深く拝聴するに。ケインズにマルクスとくれば、さながら役所はアダム・スミス、そう、神の見えざる手、と勝手に。

が、昨今、そんな三学派のみならず派生した一派が急進的に勢力を伸ばしつつあるとか。その道の権威、というか理論的支柱、泰斗が活躍した地名を冠した学派にボーイズと呼ばれるその弟子たちの暗躍を描いた一冊。キャンベルとはどこぞの区長を意味する隠語なれど、こちらはクライン。直訳や「惨事の処方箋」。

ショック、いわゆる惨事に紛れて進められるは官の資産売却。惨事便乗型資本主義複合体、つまりは新自由主義と呼ばれる一派が横行する世界情勢に警告を鳴らされ。官から民へ、のあの改革とてその潮流の一つ、とか。そこに歪がないかといえば、んなことはなく。さりとて、ならば直営のままでよかったかと問われれば。あの横柄な態度に非効率な経営は看過できず。

そもそもに、人は怠惰なものにて脅かすものなくば人は変われず、と性悪説に立たば、そちらの理屈とて。競争なき中にあって自浄作用が働けば、んな脅威に晒されることもなくもそっと別な道があった、かもと。

著書に示されし肝心の処方箋は人類の「知性」ということらしく。惨事に失われがちな正常な思考回路。戦後とて然り、混乱に乗じて、とつけ狙うはその学派のみにあらず。むしろ惨事を生じさせんと巡らされる策謀にこそ。

(令和5年6月10日/2786回)