靴屋

放免に歓迎されるは「彼ら」位なもので。在任中はあれほど群がっていたはずが。

いつか来た道、確かにそれは事実。あの豹変ぶりは何なんだ、と募る鬱憤。然れども、そもそもに彼らは「役職」に面従するのであって、「個」に従うものになく。そのへん見抜けぬようでは。

声がデカい人に悪いやつはいない、というのが人を見る指標の一つとされ、とすると性格はそこまで。一途で実直ながら些か筋を通し過ぎるきらいがあって。彼らを代弁すれば、それはあくまでもおぬしの一存、覆さんとするに全員とはいわぬまでも少なくとも会派の合意位は、というのが。

各方面からお呼びかかれど身は一つ、代役に推挙すれども相手方の反応が冴えぬ理由はその悪癖。酒席の説教など毛嫌いされる第一位とは知る由もなく。私とて被害者の一人なれど、そのへんは慣れたもので、馬耳東風を貫くがゆえに。これが年下もしくは役人となるとそうはいかぬらしく。まぁ当人とて好かれようとは思っておらんだろうから。少し前までその地位に居られた御仁の話。

そして、こちらは現職。叩かれるは宿命なれど、一枚のメモにそこまで騒ぎ立てられるに。昨今なんぞ相手方とて不正をただすというよりも狙いは別にあったりもするもので。激昂するは濡れ衣を着せられた怒り、のはずが。そこを見抜いて進言する側近おらぬは。

入札を巡る質疑などもおよそそのへんに集約される訳であって、かたや競争が働かぬは公平性に欠ける、などともっともらしきことを申しておきながら、ある日、一転、当該事案は競争原理になじまぬ、などと。結局は背後の相手次第、だったりもして。

そんな攻防の中でも優先されるは市民の利益。そこだけは損ねぬよう着地点を見出していく。それこそが大人の対応、というか役人の妙であって、そのへんが分からぬと。閑話休題。

何も振るだけが能に非ず。趣味が高じて手にせし一冊。摂津茂和氏のエッセイを夜な夜な寝る前に。その巻頭はエジンバラの古き一軒に掲げられたプレートの由来を巡る一話。プレートに記されるはゴルファーならば誰しもが見逃せぬ三文字、「Far and Sure」。

ラグビーW杯に見る国の歴史。つかの間の宥和、イングランドの貴族が訪ねるはスコットランド王ジェームズⅡ世。謁見後の話題は勿論。発祥を巡る争いとあらばたとえ相手が王といえども。ならば国の威信をかけて勝負をつけようではないか、と王様。二対二の対抗戦には莫大な賭金がかけられて。

こちらは我々二人、王様の相方は御自由に、と度量を見せる二人。ならば、と王様が選びし相棒は。謙虚さ備えた彼は「畏れ多い」と固辞するも王の熱意にほだされて。決戦の当日、王様に恥をかかせる訳にはいかぬ、と彼の奮闘ぶりが目に見えて。

相棒の名はジョン・パターソン、市中の貧しい靴職人。王様にはちゃんと見えており。仕事以外の人脈と趣味は欠かせず。

(令和5年10月10日/2810回)