場外

糸目はつけぬゆえ、と拝み倒さんとするに、いかんせん荷の保証が出来ぬ、と相手。こちとて、ソレを看板に掲げる以上は後に退けず。小ぶりならば、と可能性を示唆する買受人に、イワシ、メザシの類にあらざれば文句は言わぬ、と成立する商談も代引とあらば現物を見るまで気が安まらず。作物に同じ、豊作の年は値も安く、かたや凶作とあらば高値に加えて。

品薄と聞くに群がるは人の心理。奇しくも重なるは「翔んで」続編の公開日。開店前からの行列はそちらに劣らず、ものの一時間で全て完売。目的地や高台の神社。せっかく来たのに、との恨み節。いや、ちゃんと宣伝ポスターには売切御免と記したはず、などと反論すれば逆効果。詫びに詫びて。

詫びし相手の一人がよく知るNさん。「ついで」とはバチあたりなれど、来た以上は、と社殿に手を合わせる信心深さ。かくあらねばなるまい、と感心すれど、祈りしは、来年こそはありつけるように、だって。

そう、始まりはあの年。壊滅的な打撃を受けた被災地に救いの手、と現地から仕入れ。B級グルメの焼きそばとともに。これが大変好評で、以降は毎年恒例となる後援会、いや、地元の一大イベントとして。売名以上に来る方に喜んで貰えることが何よりも。それにしてもすごい人だったナ。さんままつり、協力者の皆様に感謝。閑話休題。

死力尽くせどまくれぬ先頭。柄の悪さや東の横綱。浴びせられるヤジに肩を落として。当時はレースが怖かった、されど今となっては。競技の選手か賭博の駒か、何せ生身の人間が繰り広げる舞台にてその可能性とて否定は出来ず、厳しい監視下に娯楽限られ。レース前に没頭するは将棋、呼ばれてから準備、それでも必ず上位に絡むは陰の努力か実力か。昔は個性的な選手が多かった。

当時の開催は昼間。そればかりか車券購入は開催地のみ。それでは客層が限られてしまう、とナイターに踏み切るは函館。それが今となってはナイターばかりか、モーニングにミッドナイトと。頭文字とってモミとは隠語。モミモミと不定期続く中にあってベテランには。勝負師たちの人生もまた喜怒哀楽にあふれ。

戦後復興の象徴。各地の競輪も廃業に追い込まれる中にあって迫られる判断。一般会計への繰入は累計ゆうに一千億円を超える過去の実績など知る人も少なく。

場外とは開催地以外の競輪場を開放して車券を販売すること。開催地を転々と放浪する博徒は昔の話、今や大半が場外、と申しても自宅にいながら。門戸を広げるに売上は伸びたものの、実際に本場を訪れる客は著しく減少。あの台上に居並ぶ予想屋、客を惹きつける話術に独自の口上なんぞは花だったのだけれども。

それでも未だ一般会計への繰入を続ける優等生にて。

(令和5年11月26日/2819回)