初演

招かれし演奏会に予定されるは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。その初演こそその日に重なる、と当時の秘書に。よく調べたな。

昨今なんぞ生誕祭などと称して自ら催す向きもあると聞けど、んな厚顔になく。喜寿、米寿の類とてあくまでも身内が。他を祝うはやぶさかならぬも祝福されるなんぞはまっぴらで。SNS等、証拠は全て隠滅したはずが、朝に届くは職場の「女子」からの一通。

ほれ見てみよ、と軽率にも隣の運転手に口を滑らせたが運の尽き。相手などこちらの都合を知る由もなく、ただ向こうの都合が良かっただけの話。前日は原稿〆切、翌日は本会議の採決。挟まれた空白の一日、それも齢五十の誕生日に。

同期の桜、の元議長とあらば隣市の二人。のみならず。退職後など二度と顔すら、いやいや、本市を含む三市の元局長がそろいぶみ。生涯でも大切な日、やはり家族と、などと虚勢を張ってみても、子らは修学旅行、妻とて折角のバカンス、骨休を台無しにされてはかなわぬ、と。いやいや、孤独を苦にせぬ性分にて一人でも何ら不都合はなかったのだけど。誘いの内容やソレと聞かば。

こちとて決戦の地は選ばぬ。名門であろうと野山であろうと、と告げて選ばれるは新沼津CC。さすがに遠くはあるまいか。送迎と三島の鰻を添えるゆえ、との申出に。ならば、と腰を上げ。

目の前の球を「思うがまま」に。十人十色、癖もそれぞれ。癖と球筋を結びつけんとするはいい教材となり。模倣こそ上達の秘訣。当人は名手が如く振っているつもりなれど似ても似つかぬカッコの悪さ。それでも何とか、それなりの格好が身に付き。ならば、いよいよ、と球を置いた途端に湧き上がる煩悩。よし、もっと遠くへ。人とは何とも愚かな動物であって。そのへんに知的好奇心は尽きず。

打順は前ホールの結果による、というのがルール。最初の打ち手はオーナーと呼ばれ。ハレの日にて権利を譲る、といわれても打数が変わるものになく、その位は実力で。ちなみに所有者ownerに近き響きを聞けども本来はhonor、そう、栄誉の意。成績は紺のスーツ、つまり無難。というか、詐欺に近い二桁にて終えた。

プレー後の十九番こそまた魅力の一つ。用意されるは地元の名店、贅の限りを尽くしたもてなしの数々、というよりもわがまま放題、はまさに忘年会というよりも私の為にあるようなもので。〆に届くは誕生日に欠かせぬ一品。入店後に近くの店にて特注して下さったのだとか。本当に今日は最高の一日、と御礼を述べて渡されるは、店の勘定。やはりひどいヤツらだ。

あの名門オケの来日公演を聴かんとするに全て完売。ならば、と選ぶは楽団所属の精鋭による室内楽。出自は決して裕福にあらねども持ち合わせるは天賦の才。当代の中でも旋律の美しさは群を抜き。彼の為に、と仲間が用意するは五線譜。当人にパガニーニ並みの商才あらば。否、不器用というかその性格の良さこそが人を惹きつけ。彼ほど友に恵まれた人はおらず。

前夜に聴きしはシューベルトの八重奏曲。友に感謝。

(令和5年12月1日/2820回)