恋愛

今も昔も人の関心は不老長寿と健康にあり。謀反の罪にて投獄されるは名医、華佗。上の目を盗みて囚人に親切施す獄卒。断頭台を控えた前日に恩返しと渡される一冊こそ秘伝の。

持ち帰りて妻に語る事の経緯。極意を手に医の道を志さんと告げし翌朝、妻に燃やされるは青嚢の書。何とバカなことを、と詰め寄る亭主に妻がひと言。今ふたたびの悲劇を繰り返す気か、と。三国志の一話。妻に見つからねば、今日はそんな話。

旧家にあって長兄にあらずんば。放蕩の限りを尽くし、か否か。芸は多岐に秀で、趣味は人後に落ちず。孫に恵まれ、何一つ不自由なき幸せな余生、のはず。久々の来訪に持参いただく一冊。「謹呈」と自筆によるサイン本にて売るに売れず、とは冗談也。

自ら生きた証と自伝の類が綴られること少なからずも得てして当人に都合よき美談として。のみならず、実名とあらばあらぬ誤解を招く元凶にもなりかねず。ウソでもその一文さえあれば。当作品はフィクションであり云々。

着想得るは二年前、八十迎えるに、と当人が挑むは小説。それも「恋愛」。書くに欠かせぬは経験。自らの体験を世に問わんとばかり。日夜、書斎にてコツコツと積み上げし原稿。そこに細心の注意を払いしはずが、完成を目前に奥方に見つかってしまい。二日間、口を利いてもらえず、と本人。

チラつくは離婚、いや、それ以上に肝心の原稿が。もはやこれまで、との窮地を救うは御令嬢。原稿一読の上、絶対に出版すべし、資金とて私が、と出版社との交渉に。晴れて日の目を。究極の恋愛小説、とオビに記されし本の一話に描かれるは「初恋」。雷に打たれたかの如き衝撃。胸に鳴り響くはその曲。まさに「運命」の人とばかり。

バカ正直に貫かれるは一途な想い。されど望めども叶わぬが恋なるもので。彼女が居らぬ人生など何ら意味を為さぬ、と傷心の日々。純粋な作者、いや、「架空」の主人公が思い詰めて選ぶはその道。投身を図らんと崖上に立つ本人を踏みとどまらせるは。ネタバレにて何かは言わぬ、が、やはりそれだけの価値がある、と私も信じてやまず。

そう、既に金婚を終えた夫婦間にあってその位ならば何もそこまでこじれずと。いやいや、そこに「究極」の名が付く以上は期待外れに終わらせず。第二部に描かれるはその後。なれそめと婚後の日常。時に官能小説ばりの生々しき描写に描かれるは睦まじき夫婦愛というよりも。不謹慎ながら作者が主人公に重なるに下手なベストセラーよりもよほど。

私なんぞも何度か御自宅にお招きいただいたことがあるのだけれども次回は奥様の顔を正視できぬかも。あくまでもフィクションとはいえ、老いの道楽とはかくも恐ろしき、なんて。そんな縁なくば巡り合わぬ珠玉の一冊に一筆礼状をしたためんとしてはたと気づく。感想記せども奥様の目に触れては私まで。ゆえにそっとメールで。

そう、肝心の書名や「かなしき恋」。著者は本市在住、とだけ。

(令和6月5月10日/2852回)