放置

明日行くに目的地の設定が、と、おらがセンセイ。えっ、だって乗り換えて既に一年以上、この間、ナビは使わなかったのだろうか。いや、そもそもに自身が現役の頃から年一回のコンペはそこのはず、なんて余計なことは言わず。

二つ返事で助手席に乗り込めど、見当たらぬボタン。そう、今やタッチパネルの時代、スマホの画面が如く、どこかに隠れているはず、と探せどそれらしきものは。最後の手段とばかりにマイクのアイコンに目的地を告げて事なきを得るも、いまや、それこそが標準と知り。

迎えた翌日。こちらの心配や自らのスコア以上に死人は出ぬか、その一点にあり。新緑に晩秋、四季巡る中にあって何もそこを選ばずと、との声聞けど、むしろそのほうが、とセンセイ。百キロに同じ、目標は高い方が意識も高く,

達成感も、違うか。確かに前日までの辞退あれど、当日の途中棄権は過去に一度もなく。今年も参加者の全員が完走、ならぬホールアウト。ばかりか、年配者のほうが総じてスコアも。ちなみにおらがセンセイはエイジシュートに一打及ばず。と申しても御齢86にしてあの灼熱の中を18ホール。

閑話休題。通された部屋にて目の前の紙に氏名を書いたら後日に採用通知が届いた、なんてのは昔の話。今どきにあって頼まば確実、などとは誰しもが思っておらぬ「はず」。いや、一次の筆記に水増しは無理と知れども二次の面接ならば、なんて。出走前の馬券に同じ、頼まば不思議と合格しそうに見えたりもして。進む市の採用試験にその手の依頼がないとも限らず。

こちとて労こそ厭わぬ。指示するはたやすきことなれど、当人がくぐり抜けねばならぬ関門に控えるはわがシンパとは限らず。市議が仕事をこなすってことはそれだけ「無理を通す」ことを意味する訳で、その存在に反感抱く職員とて少なからず。折角、順調だったものが私の名が出た途端、なんて。

とすると聞いたフリして何もせぬ選択肢とてアリやもしれぬ。が、そりゃさすがに相手の依頼を無視しとるようで。せめて一言を頼むにせよ適任や課長か部長か、はたまたそのまた上か。頼まれたほうとて迷惑な話。んな依頼は持ち込むな、と言いたいところなれど相手が相手、市議だけに。

困惑するは依頼を受けた当人のみにあらず、現場の担当とて上の命とあらば抗うに抗いきれず、良心の呵責に苛まれるやもしれず。正義感に勝る担当ならば、よくぞそんな話を、と上司に詰め寄ってみたりもして。まぁ兎に角、神経を尖らせ、細心の注意を払い、彼ならば、と。いや、「放置」の可能性とて。が、きっと善処して下さるに違いない、と気休めにも似た安堵の中に身を任せ。

親が気を利かせて本人に内緒で、なんてのも善し悪し。後で実力以外の力が働いたと知れば。かくいう私なんぞも新卒が氷河期に重なり。母の勧めで父の会社を受験するも見事に不採用とされ。結果にしばし耳を疑えども、それこそが成長の機会、と悟るは随分と後だったから。

(令和6年7月30日/2868回)