早馬

薄れゆく親戚の縁。人づてに知る訃報に遠縁といえども昔は早馬を飛ばしたものだ、と。昭和二年生まれに土地の大物多く。昨年末、いや、その一年前に御自宅を訪ねた際には大掃除にあって自ら神棚を。しばしお待ちを、と娘が言いかけて聞こえるは奥からの足音。その年齢にしてあれだけの俊敏性を保つは只者になく。それだけ貴殿のことが、と娘。

生涯現役。通される応接間の机上には本と電子辞書が必ず。温厚な人柄ながら武勇伝は数知れず。あれは確か昨年の夏、父君の様子を尋ねるに家で退屈しとりますゆえぜひ相手を、と請われて訪ねんとした矢先。ほんのわずかの施設生活に生涯を閉じられるは天寿と。

三曲とは琴に三味線、尺八だそうで。追悼の一曲「もしもピアノが」に開幕するは三曲あさお定期演奏会。毎年、趣向を凝らした内容に退屈させぬどころか。各地の民謡を集めた陸奥コレクションの演奏とともに大画面に映し出される四季の風景。今年こそはあのレースに、と決意を固め。

民話「唐芋とどろぼう」は朗読に演奏を合わせて臨場感を。日照りに干ばつ、食糧不足に喘ぐ子供たち。心優しき天草の太助が旅先の薩摩国にて目にするは唐芋。これさえあれば。苗木を持ち帰らんとするも門外不出、禁制の品と知らされ。悲嘆に暮れる太助を前に一計を案じるは宿主の老婆。苦難乗り越え手にする唐芋に大喜びの子供たち。いい話だったな。そんな当団体も文化庁の認可を受けて小学生向けの琴の教室を。

そう、年末に入院されたTさんからの着信。すっかり回復された様子にて新年会をやるまいか、と指定されるは地元の中華屋。病院食の日々にあってはさぞ。否、確かに入院中は薄味ながらも一品一品に味の工夫が凝らされ脳を刺激するに十分。むしろ、退院後こそが。奥方の手料理とは申せ、薄味に量も限定されて。それが愛情と知れどもさすがにこれだけ続いては。

脱獄を企てるに思い立つは私の名。いや、それが免罪符になるならば。さりとて、退院後まもなくの身に万が一あらば奥様に顔向け出来ぬ。開催の条件や店までの送迎は私が、と告げるに。それでは貴殿が呑めぬにあるまいか、とTさん。いや、心配は無用、何せそちらとは逆、酒浸りの日々にあって断酒はかえって好都合。

そして、迎えた当日。目を皿にして向き合うは店のメニュー。注文や尋常ならざる量であり。ぼちぼちシメでも、杏仁でどうか、と投げかけるに、いや、もう一品、麺類を、と。恐るべし食欲。節制の日々が必ずしも健康につながるとは限らず、時に害と知りつつも好きなものを存分に。

そう、無謀といえば。アンディ・ペインなる人物をご存じか。ロサンゼルスからニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンまでの全長約5,476kmの大陸横断マラソン「バニオン・ダービー」の初代覇者。日本のアンディこと区内在住のNさん。青森-下関間1,500km本州縦断フットレースの完走を遂げ。

制限時間、いや、日数30日を走り続けるに年齢や推して知るべし。隠居の身になくばそれだけの時間の余裕など。昨年末に談議に興じるに最大の関心事や膝痛の回避。今はまだ予兆すらなくもこれだけ酷使するにいつかは、そんな不安を抱えつつ。師走、睦月は放牧月のはずが。今月もまた。

(令和7年1月20日/2902回)