泡盛

100ならぬ50。ましてやスタートが午前11時とあらば。前夜祭とばかり泡盛をしこたま。それとて翌朝に持て余す時間。散歩がてら宿の近くの御嶽にて手を合わせ。完走を、いや、そりゃ自力にて。

チバリヨー、とて通じるもワイドーこそが島民の証。宮古島ワイドーマラソン50キロの完走を遂げた。島の天気は気まぐれ。当初の予報は雨なれど、前日には曇り、そして当日は見事な快晴、も喜べぬは気温。

コースは島の外周。陸地と申しても珊瑚礁の隆起にて土地は肥沃にあらず、広がりしサトウキビ畑。原野そのままに路面を固めただけ。ゆえに平坦なく、およそ上りか下りか、タフなコースに。たかが50キロ、と侮りし軽率さを後悔しつつ。閑話休題。

突然の訃報、葬儀は身内で、と聞けど。初めて子を授かりし喜びも生育の過程にて気づく違和感。何せ自立心が強くがんばりやな性格にて不満漏らさず人の手借りず、まずは自ら。

年齢とともに病床に伏せる機会が増え、流行り風邪との診断も衰える免疫に抗いきれず。急変に呼び出されるは午前2時。母の必死の呼びかけに戻る数値。これで一命は何とか、と安堵して帰宅後に告げられる事実。目の前の親を悲しませぬ娘の最後の親孝行と思わば。

生前を偲び冥福祈りて手を合わせるはやすきことなれど、残されし親にかける言葉なく。こちらの心境を察してか気丈に振舞って下さるも時に目頭を押さえ。悲しみ癒すにそっと時の経過を待つしか。仮に政治家なる職業に秀でた面があるとすれば、そんな場面に多く遭遇するがゆえに育まれる惻隠の情、相手へのいたわり、か。

後援会が主催となりし新年会を終えた。私の為に、いや、「頼んで」催していただくのだから役員はじめ協力者の皆様には頭が下がり。来客に粗相なきよう入念な段取りも残される懸念や一つ。昨年の衆院選にて落選のN君の扱い。

いや、落選は恥ずべきことに非ず、捲土重来と申しても比例五回にして次回の公認は絶望的。つまりは「交代」がほぼ確実視されるに。招待状こそ出さずとも来るもの拒めず。仮に「来た」にせよ、その扱いは来賓か否か。受付の女性陣とて来賓の列に並びし当人に「貴殿はもはや来賓に非ず」などと言えるはずなく。来賓として迎えるにも紹介に留めるべきか、はたまた壇上にて一言を賜るべきか。

サルは木から落ちてもサルなれど政治家は、などと揶揄される中にあって、肩書に群がる人とて少なからず。他の客人とて相対するに困惑せぬか。そのへんの機微を察して自重するのが大人。されど、んな葛藤は彼とて同じ。行くべきか行かざるべきか。それだけの応援を受けながら落選後に無視とは人の道に反する、せめて御礼の一言でも、なんて。

そのへんは島の天気に同じ、当人次第の出たとこ勝負と知れど、ならば予めその胸中を伝えておくとか。相手の心配に鈍感なところが落選の、いやいや毒舌が過ぎた。いづれにせよ、その為の代表者、いざの時はそちらに判断を仰がば。

で、迎えし当日。壇上に立ちし本人が。落選後にメシを奢ってくれたのはこの人、と。んな話にウルっときた、とはある御婦人の感想。

(令和7年2月5日/2905回)