素足

恩に感じてこちらが催すならば物心惜しまぬも、向こうからの御指名とあって。いや、彼らとてそれこそが勲章、祝宴に花、との発起人の意は酌んでやらねば、と拒まぬまでも。出席の返事後に「もののついでに維新の彼女も」などと返信あらば。何が「ついで」だ、そちらが本命にあるまいか。おい、君らは元議長をナメとるのか、なんて。

送別とは読んで字の如く。以降は会えぬやもしれぬ、との惜別の情に催されるもののはず。が、今や定年延長の時代、四月以降も登庁は変わらず。没収される役職に座席が変わる位で。ならば、数年後、本当の退職の際に催さば。いや、役職は既に過去の栄光、薄らぐ存在感に参集者とて。そもそもに部下もおらねば発起人が見当たらぬ、とするとやはり還暦こそが。ついでに退職金も。

各方面から御指名を受けるに出席やぶさかならずも招かれる以上は手ぶらでは行けぬ。バカにならぬ出費、いつの日か私も、などと見返り期待するは野暮。そこは甘受するにせよ、行けば食う、食わば太る、太らば走れず。年齢とともに衰える代謝。ゆえに普段から脂肪の燃焼が持続するような身体こそ。

道具を使いこなせぬは己の実力不足、ゆめゆめ道具のせいにしてはならぬ、と幼少より教わってきたはずも。従来の常識を覆す新理論。道具こそが九割、と公言憚らぬ名匠がゴルフ界におられ。腕か道具か、を巡る論争や禅問答に同じ。そこに当人の食い扶持がある以上、自らの信仰を世に広めつつ信者を募るが商い。

困り人を放っておけぬ性分にて上位の選手権を目指さんとするM君から壁を破れぬ、と聞くに。口利きは役所のみならず。後日、クラブを新調されたと聞いて。めでたし、と思うは浅慮。知人の個展を訪れるに何か買わねば、もしくは、拒まば紹介者の顔をつぶしかねぬ、との心理が働いていたりもするゆえ。

義理ならばすまぬ、と詫びるに。やはり一流同士。そこに当人なりの新たな発見があったらしく。道具に違和感がないといえばウソになり、されど信じて練習するのみ、と。信じるものは救われる、ってのはある意味で核心を突いた一言かも。

そう、愛用のシューズが寿命を迎えんとするに。言わずと知れた主流は厚底。着地時における衝撃の吸収性に優れ、ひざへの負担を軽減するに様々な工夫が施され。負担が少ない、つまりは「長く走れる」モノなれど、負担少なきがゆえに練習には不向き。近年で申さば高地トレーニング、昭和で申さば星飛雄馬のギブスが如く、同じ練習量でも効果が最大限に期待できるような練習法を。

足の指でジャンケンが出来るか、と刺さる言葉に連想するは。当時、近所の砂浜を素足で走り回りしあの体験。かと申しても近所に砂浜などあるはずもなく、ましてや舗装された道路を裸足で走るなど正気の沙汰にあらず。いや、砂浜に劣らぬ環境があるではないか。あの芝生の上ならば。それこそ出禁か。

ベアフットとは素足の意。その名を冠した薄底にて新たな挑戦を。んなオタクの領域に入らずとも減量こそが唯一無二の真理にて単に送別会の出席を減らさば。

(令和7年3月30日/2915回)